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楽譜   演奏会見聞録

05年6月14日

戸田弥生リサイタル

夢見るのでなく、夢を見させるのでもなく、土の匂いはしないが、しっかり足を地面につけている。素材を重ねる様子は大工の仕事、建て付けのよさが目に見えて、演奏者の力だということが伝わってくる。

おととしの音楽祭で聞いたシャコンヌがしっかりとした響きの会場でより強くなって帰ってきた。

そして去年の音楽祭、バルトークで聞いた街の夜の響きは、さまざまな考えの人が住む都市の路地の奥で作曲家が思索する世界のかたち。今年は、ケーテンで自由な音楽活動ができた宮廷楽長バッハが一挺のヴァイオリンに託して心の内側を放射した宇宙。

この音楽祭に彼女の出演が5年続いて(わたしが聴くのは4回目)、ひとりの音楽家を続けて聞くことで、同時代を生きる演奏家の内面に触れることができたような気持ちになった。


休憩のあとはイザイのヴァイオリンだけのためのソナタ。

降下する半音階・・バロック風のデフォルメ・・古い踊りのリズム・・バッハの引用・・Dies Irae 怒りの日・・抒情・・フォークロア・・狂詩曲・・激情・・ballad 英雄譚・・氾濫・・奔流・・繰り言・・スペクタクル・・悲劇的・・いきれ・・火照り・・跳躍・・夜のとばり・・ミニアチュール・・オーロラ・・放射・・憧れ・・輪舞・・touch・・太陽と海・・喜びと希望・・ハバネラ・・。

楽章のひとつひとつが宝石のように鋭く、まばゆく、怪しく、暖かく、光っている。

この曲を献呈されたのは、シゲティ、ティボー、エネスコ、クライスラーなど同時代のヴァイオリニストたち。1920年代、動乱の予感が世界を支配していた時代の音楽家たちの息吹が伝わってくる。

三角屋根の下で、こもらず、はね返らず、抑制のきいたまっすぐな音が向かってくる。過剰な余韻を排した響き。ガラス戸の向こうには水銀灯に照らされた夜の通り。失われてしまった時代の熱気がこの小さな空間の底によどんでいた。

エネスコを、バルトーク、フランクを、バッハ、ベートーヴェンも聴かせてくれて、今年のイザイ。さて来年は・・。


この音楽祭もこれで5回目、彼女のコンサート以外に知的好奇心を満足させるコンサートがほとんどないという状況はいつまで続くのだろうか。

ともあれ、最高のエンターテインメントに乾杯。80人の観客にも。


戸田弥生ヴァイオリンリサイタル
2005年6月14日火曜日 午後6時30分開演
古関裕而記念館


■J.Sバッハ : 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調 BWV.1004よりシャコンヌ
■イザイ : 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 作品27
ソナタ第1番ト短調 ソナタ第2番イ短調 ソナタ第3番ニ長調「バラード」 ソナタ第4番ホ短調 ソナタ第5番ト長調 ソナタ第6番ホ長調