小倉寺村ロゴ


楽譜   演奏会見聞録

04年6月3日

戸田弥生デュオコンサート

なぜか何も心に浮かばないベートーヴェン。野原も、空も浮かばない。ピアノは抑えた響きでしっかりと音を刻むし、ヴァイオリンは鼻にかかったフランス語のやさしさに高音はきらりと輝きを乗せて、音の美しさに不満はないのに。たゆたうように流れに身をまかせるうちにスプリング・ソナタは終わってしまった。このあとに続く激情の音楽の、嵐の前の静けさだったとはあとでわかった。

バルトークの夜の響き。暗闇に漂う見えない薔薇の香。去年の映画「暗い日曜日」のブダペストの夜の街を思い出す。
動乱の時代の底で凶暴な牙をむく見知らぬものたちの動きを、息をひそめて過ぎ去るのをじっと待つ。明日の知れない運命の中でささやくつぶやき、あたため合う恋人たち。そして夢見る情念の連合体の反攻、戦闘、そして勝ちどき。
第一次世界大戦でのオーストリア・ハンガリー帝国と属国としてのハンガリー国の崩壊は、敗戦後の国土の占領と経済の解体でほとんどが農民である大衆の貧困を生み、1918年の民主主義革命、1919年の共産主義革命、ルーマニアによる占領、総選挙後の国家議会による王政復活と揺れ動いた。この時代にブダペスト音楽アカデミーのピアノ科教授として生活していた39歳のバルトークがどんな立場にあったのか、この胸に突き刺さる厳しさが物語るようだ。
木で覆われてはいるが構造体が鋼鉄だと思い知らせるピアノの強い響き。豊かな中音と、輝く高音の内側に強い芯を忍ばせるストラディヴァリウス。突きつめた表現にあっけをとられるといういつものこの作曲家の聴き方を超えたところで、夜の濃さや人肌のぬくもりが伝わる、めったに聴くことのできない上質のバルトークだった。

休憩後にはフランク。ヴァイオリンが弾きはじめるとほとばしる情念。青春の日々に混沌の中で共感した心震える浪漫の響き、未来の見えない鬱屈から逃れる術もなく、カーテンの隙間からのぞける世界に薔薇を見ていた日々。今こうしてのんびりした日々を送っていても一度思い出せば心乱れずにはいられないあの頃の激情。懐かしさとあこがれと怒りと悲しみ。
戸田弥生の音は、高く伸び上がって夢を広げていくが、足はしっかり地について揺るがない。聴衆と一緒のところにいて心を支えてくれている。テクニックにまかせて置き去りにすることはない。共感できる音楽を作ってくれる。

アンコールはエル=バシャ氏のピアノ独奏でプロコフィエフのバレエ音楽「ロミオとジュリエット」の作曲者自身のピアノ用編曲「モンタギュー家とキャピュレット家:騎士達の踊り」。音の広がりが感じられない地味な響きで、プロコフィエフというとびっくりするような大きい音やサーカスみたいな指の運動を考えてしまうので、こういう木質の音の選択もあるんだと面白く聴いた。
もう1曲はバイオリンとピアノの二重奏で曲名不詳、響きからしてエネスコかなと思ったが、1分ほどで終わる南欧?異国風の響きの曲だった。ファリャの「ポロ」(デ・ファリャ1914年作曲 / コハンスキ編曲 : スペイン民謡組曲の第6曲)との説あり、なお調査中です。
たっぷり満足したが、客席は閑散として淋しい思いがした。


戸田弥生 デュオコンサート
ヴァイオリン 戸田弥生
ピアノ アブデル・ラハマン・エル=バシャ
2004年6月3日木曜日 19:00開演
福島市音楽堂

■ ベートーヴェン : ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 op.24「春」
■ バルトーク : ヴァイオリン・ソナタ 第1番 sz.75
■ フランク : ヴァイオリン・ソナタ イ長調