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楽譜   演奏会見聞録

18年11月10日

オーケストラ ファン・ヴァセナール

舞台裏から低音が、ヴィオローネといったかしらと思ったら、客席後方から花道を登場といった按配に楽隊が行進してきました。これが五重奏曲ハ長調「マドリッドの通りのノットゥルノ」の序章、ということのようです。舞台をひと回りして着席。左からヴァイオリン1、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ1、チェロ2。ヴィオローネと思ったのはチェロだったようです。チェロの奏者が指で撥くピツィカートといったか、ギターのように奏でたりします。
アヴェマリアの鐘の音…ドラムロ一ル…盲の乞食のメヌエット(盲の彼らは日々のゴシップをギター片手に通りで歌っていた チェロ奏者は楽器を膝の上に抱きかかえ、爪で弾く)…ロザリオの祈り…ロス・マノロス(マドリッドのキザな男)=ス卜リ―卜シンガーのパッサカリア…ドラムロ一ル…リ卜ラータ:夜間の軍楽行進(赤津さんのパンフレットの説明より)
ラルゴ(ロザリオの祈り)のところで、チェロが歌ってヴァイオリンが合いの手を入れたり、気持ちの良い響きです。ハイドンとかモーツァルトとかにあるような、というのも同じ時代の人です。
太鼓のような響き、これはヴァイオリンの弓弾きで太い音、帰営の合図というのがこれだったでしょうか。
楽団が演奏しながら登場したり、それぞれの曲がお話し仕立てだったり、貴族や富裕な商人の屋敷で楽しんでいるようでした。

二曲目は三重奏へ長調、ヴァイオリン(赤津さん)、ヴィオラ、チェロ(山田さん)。こまやかな声部の動きが追いかけるように紡がれます。チェロは鷹揚に漂い、ヴァイオリンがヴィブラートなし、一音一音が膨らんではしぼむ、紡錘形、胸にやさしく浸み込むようです。印象を強くするために音の出始めでぐいっとアクセルを踏んで、大きな音で(圧倒する?)という近・現代の奏法とは違います。古楽奏法を研究した赤津さんの師、シギスヴァルト・クイケンさんの奏法です。マラン・マレの「聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モン教会の鐘」のレコードを思い出しました。

次は四重奏ハ短調。ボッケリーニはチェロ奏者、二十代に楽友フィリッポ・マンフレディ、ヴァイオリニストと演奏旅行に出たころにパリで弦楽四重奏曲集が出版されます。ボッケリーニの楽譜は低音部が書かれていないそうで、自分が即興で弾いていた、とのことです。
ヴァイオリン1、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ(十代田さん)。
プレスティッシモ、快速の始まり。微妙な細かい動きがベートーヴェンを思わせますが、柔軟というか自由な感じがしました。チェロの音の出だしにかちっとした引っかかりがなく、やわらかなのですが、ひとつひとつの音は誤りなく聴き取れます。均質な音で演奏するというような当時の習慣なのでしょうか。チェロの弓は櫛の背のような、木の部分が鏡餅の曲線で、現代のもののように直線とか反ってとかというものではありません。時代が移り、強い表現が求められて今のような形になったのでしょう。
メヌエットはモーツァルトのようなひらめきがあって、でも飛び跳ねるような楽しみがあります。飛翔感、ポップ・スターのようにきらめいています。宝石みたいにつやつやと第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが音を交換します。
フレビーレ(悲しげに)、という楽章では、悲しみに気高さのような気配があり、青木繁の「わだつみのいろこの宮」を思い浮かべていました。グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」に似たような空気感です。平らな弓のチェロが大きい音でないのに、かえって凄まじい強い響きでした。

後半は「哀しみの聖母 Stabat Mater」、ソプラノと弦楽五重奏。
ソプラノが中央、囲むように左からヴァイオリン1、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ1、チェロ2。ソプラノの森川さんは、スペイン系の顔のつくり、エメラルドの青緑色が縫いこまれたドレスに黒を羽織って、イエスの受難ということでこの衣装が選ばれたのでしょう。
悲しみの母は立っていた 十字架の傍らに、 涙にくれ御子が架けられているその間…(歌詞対訳が配られ、ありがたいことです)と空気が凍りつくような始まりです。ソプラノの表現が内側に向かって凝縮していくようです。この裏でヴァイオリンの響きが直線となって高いところへ伸びていきます。宗教曲の弦の奏法というものがあるのかどうかは知りませんが、よくレコードで聴くビーバーとかコレッリとかのソナタにこのような奏法が聴かれ、当時の人々の心情に入り込むことができるような気になります。
演奏家たちが向き合っているのは、作曲家が向き合っていた聴衆、劇場や宮廷、その時代の世の中だということでしょうか。

いと清き乙女のなかの乙女よ どうか私を退けずに あなたとともに歎かせてください…アンダンティーノ、ゆっくり歩くような速さのところでチェロのひとりがピツィカート、劇的な厳しさと天上のやわらかさが交錯します。梅雨どきの光と雲、寒気と暖気の移ろいのよう、気づかないうちに移ろっていきます。
バッハの音楽では言葉が音楽を規定する、ボッケリーニの音の豊かさは響きのありようが基のところにあって、そのつれづれの表情に言葉が寄り添っていく、といえば比較になるでしょうか。
怒りの火に燃やされることのなきよう あなたによって、乙女よ、 裁きの日には守られますように…のくだりでアンサンブルは高潮、ヴァイオリンの身振りも大きくなります。ソプラノは「魔笛」の夜の女王のようにかろやかで真摯です。「魔笛」はこの作品の10年後ですが、モーツァルトも同じころの多くの作曲家のひとりだった、ということですか。
最後はアーメンで終わります。ソプラノのうっとりした表情。
演奏会の副題は「ボッケリーニという魔術師」というのでしたが、なるほど、聖母の悲しみを主題にしながら演奏者と聴衆の両方を共に響きで酔わせてしまう、魔術師の仕業です。

アンコールはメヌエット。作品11の五重奏曲の一楽章。有名なので、ということで本意ではなかったよう。別の五重奏曲のメヌエットをあらためてもう一曲。作品28と聞こえましたが、さて、聴き取れていなかったかな。

ボッケリーニだというし、赤津眞言という名前に覚えがあって、前売り券を求めて、いざアリオス、はじめての音楽小ホール。やわらかな乳白色が基調の雰囲気のいい会場。舞台後方はゆるやかな弧を描いています。赤津さんはラ・プティット・バンドが各声部一人という編成でヴィヴァルディの「四季」を演奏したときの第二ヴァイオリンで、10年前の演奏会を覚えています。
このシリーズは「オーケストラ ファン・ヴァセナールの室内楽」、こちらのアリオスでこれまで何度か演奏会があったようです。テレマンとパリを主題にしたり、イタリアを主題にしたりと。もっと早く知っていればよかった、このホールのメール・マガジンは購読するようにはしましたが。それにしてもお客さんはベートーヴェンやロマン派じゃないとだめなんでしょうか、管弦楽の最後で興奮したりしないとだめなんでしょうか。今回いわき市で発行されている「日々の新聞」で紹介があって出かけましたが、思ったよりだいぶ少なめの観客で、応援したいと思いました。さあ、次はいつだ。

2018年11月10日土曜日14時開演
いわき芸術文化交流館アリオス 音楽小ホール
オーケストラ ファン・ヴァセナールの室内楽
ボッケリーニという魔術師〜チェロの巨匠が目指した室内楽〜

オーケストラ ファン・ヴァセナール
赤津眞言、鳥羽真理絵 ヴァイオリン
天野寿彦 ヴィオラ
十代田光子、山田慧 チェロ
森川郁子 ソプラノ

L. ボッケリーニ
Stabat Mater(哀しみの聖母)ソプラノと弦楽五重奏の為の
マドリッドの通りのノットゥルノ 弦楽五重奏作品30-6 G.324
弦楽四重奏ハ短調作品41-1 G.214