小倉寺村ロゴ


楽譜   演奏会見聞録

08年1月13日

ユンディ・リ ピアノリサイタル

受付でプログラム変更の印刷物を渡されました。
変更前のプログラムは、
ショパン:4つのマズルカ op.33
リスト:バラード第2番 ロ短調
ベルク:ピアノ・ソナタ op.1
ラヴェル:水の戯れ
ヒナステラ:アルゼンチン舞曲 op.2
ムソルグスキー「展覧会の絵」
というものでした。ベルクもラヴェルも、はじめて聴くヒナステラもなくなっています。試聴盤のようなプログラムに変更されて、演奏会に足を運ぶのはいろんな世界を見たいからだぞ、と言いたいところですが、ま、そこは抑えて、抑えて。

モーツァルトは夕方の中学校の教室のような懐かしさでした。多忙なコンサート活動でお疲れのピアニストが郷愁に浸っているのか、と思ったほどです。旋律が小気味よく転がっていきます。今は亡きフリードリッヒ・グルダの若い頃の演奏を思い出しました。鮮やかな指さばきです。旋律がからみ合うところも立体交差のように弾き分けてくれます。

ショパンになってもまだ夕方の教室にいるようです。速度と強弱を自在に動かしますが、ショパンではあたりまえのことだし、曲のせいかいつも同じような動かし方のようです。退屈に感じ始めていました。

シューマン作曲・リスト編曲の「献呈」でわたしの印象は一変しました。自在に転がる音の連なりが、石が積み上げられるように大きな伽藍を作り上げていく様子が目の前にひろがったのです。
「僕の恋しいひと 僕の愛しいひと/君こそ僕の喜び 僕の苦しみ/君こそ僕の生きる世界」と始まるリュッケルトの詩にシューマンが作曲、妻になるクララに捧げた曲ですが、クララがリストの編曲に「私たちの愛をこんなにゴージャスにして」と怒ったそうです。その言葉どおりの贅沢な盛り上がりをユンディ・リが荘重に華やかに聴かせてくれました。

ショパンの「・・・華麗なる・・・」は、ほれぼれしました。話がじょうずな人と言えば伝わるでしょうか。曲の成り立ちや美しさに納得して、作曲者への感謝の気持ちにほれぼれとしていました。
「華麗なる大ポロネーズ」は grande polonaise brillante の日本名ですが、brillante の「輝く」という意味が実感できました。ピアノの鳴りきった音が響いていました。

ステージの上手に花が飾られていて、演奏会が始まったころは、この立派な花に負けない演奏を聴くことができるのか危ぶみましたが、ここに至ってピアニストが咲き誇っているのを実感しました。

ショパンの演奏の規範というか、歌い方というか、その枠組みのなかでうまくまとまった演奏というのはよく聴くのですが、ショパンの曲をもとに自分だけの物語を作り、聴衆がその物語に共感することができるというのは、才能!!・・・・父さん、事件です(黒板純の声で)。
ホロヴィッツとポリーニを思いおこしたのは、彼が自分の言葉でショパンを話してくれたからです。
あの二人の1971年と72年に発売された録音は、ほかの誰とも違うショパンとして、今でもわたしの心に刻まれています。署名入りのショパン! そして当夜のリのショパンも、残念ながら、何度も聞くわけにはいかないのが演奏会の宿命ですが、忘れられないものになりそうです。

さて、リさんの経歴はとパンフレットに目を落として・・・不明を恥じるほかありません。
ポリーニ、アルゲリッチを優勝者にもつ、5年に一度の天才発掘コンクール。5年に一度なのに、適格者がいなければ優勝者を選ばず、二位を最高賞としてしまうコンクールの、2000年の優勝者・・・。今ごろ才能の発見だなどとおこがましい。

5歳で「重慶子供アコーディオン・コンクールで優勝」後、ピアノの指導を受けて・・という経歴もまた驚きです。
重慶は人口3,100万人の工業都市。子供のコンクールがあるというのは、運動会で一等賞もビリも平等に努力をほめるこの国のものとは違う文化です。彼の国の文化の草の根からの豊かさ、人々の文化への意欲、というものが想像できます。
思い出したのは映画「第三の男」です。オーソン・ウェルズ演じるハリー・ライムの言葉「ボルジア家の30年の圧政はミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチのルネッサンスを生んだ。スイスの同胞愛、そして500年の平和とデモクラシーはいったい何を生んだ? 鳩時計だとさ」。
1982年生まれの彼が7歳の年が天安門事件です。そんななかで天才が生まれました。私たちには天才はいません。鳩時計? エレクトロニクスと自動車? でも平和とデモクラシーが・・・。才能のある個人が、その努力によって、また社会の惜しみない応援によって育っていくというのは、わたしたちのこの国ではもう神話となったのでしょう。覚悟しましょう。この国では、天才は輸入するほかはありません。

さて、「展覧会の絵」。
展覧会の10枚の絵を表現した10曲と、絵を見ながら歩くみちづれの曲「プロムナード」が交代にあらわれる組曲です。
「古城」では、夕暮れに静かにたたずむ城の姿が眼に浮かびました。演奏会冒頭でも夕方を思い出しました。遠くの懐かしいものを、甘酸っぱく思いおこさせる何かが、この人の演奏にはあるようです。
「チュイルリーの庭」は公園で遊ぶ子供たちのけんかが題材ですが、少女のほっぺたをなでたときに感じるようなかわいらしさです。
「ブイドロ」は牛車、しかし、圧政に苦しむポーランドの人々をあらわしているとされます。牛が目をつり上げ、肩を張って、ゴリゴリと土を削るように進んでいきます。あまりのすごさからか、直後の「プロムナード」では、夢見ごこちで空を仰ぐような優しいまなざしを感じました。
「リモージュの市場」は女たちがけんかをしている絵です。聴いたことのない速さで弾かれます。市場の女たちの活気でしょうか。
一転して「カタコンブ」、パリの地下墓地。前の曲と世界が裏返しになったように陰鬱です。
「死者とともに死者の言葉で」と題される密やかな部分から、奔放な魔女がたくらみをめぐらす「バーバ・ヤガーの小屋」、そして壮大な終曲「キエフの大門」への流れは、不協和音にも聞こえる打楽器のような効果と、スタインウェイの華やかな響きを積み上げて、融通無碍、圧倒的なフィナーレでした。
(曲の標題などについて、tatsuya さんの「趣味のページ」を参考にしました。)

アンコールは、中国民謡の編曲「向陽花」(ひまわり、陽の字はおおざとに「日」)、きらきら光るオルゴールのような曲でした。
このホールでは、ピアノの音は高みに昇っていき、漂って消えていく、といつも感じていました。しかし、この日のピアノは聴き手のからだにまっすぐ放射されているような感じがしました。
この感じは、白石でアンドレ・ワッツを聴いたときもありました。これは、ピアニストの力量の、わたしなりの感じ方なのかもしれません。こんなことに気がついては、コンサート通いはやめられません。

ユンディ・リ ピアノリサイタル
2008年1月13日日曜日17時開演
福島市音楽堂大ホール

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番ハ長調 K330
ショパン:4つのマズルカ op.33
ショパン:夜想曲第2番 op.9-2
シューマン/リスト:「献呈」S.566
ショパン:アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ op.22
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」