演奏会見聞録
03年10月3日 円光寺雅彦指揮 |
音楽の授業で聞いた「古典派」という言葉そのままのような「フィガロ」序曲で始まりました。モーツァルトを聴くといつも感じる流れるような節回しが聞こえません。楽員それぞれはいい音を出してまとまっています。ここでぐいっと引き込まれるんだよ、いつも聴いているレコードではここで旋律の動きに合わせてテンポが巻き上がるんだよな、と肩すかしを食ったような感じで聴いていました。 テンポが遅い、正確だけど。オーケストラの技倆に合わせてテンポを落としているのか? でも速いテンポのところも正確に引けているし。指揮者の趣味か? 今日この頃の天気のような風通しのいい感じが好きなのか? でもこれだと惹きこまれないからつまらない。とりあえずは疑問を残したまま、ハイドンのように清潔なモーツァルトを喜んでいました。 ソプラノの登場。最初の一声で惹きこむいい声です。イタリアでもなくスペインでもなく、フランスの赤ワインのような野原の香りの、自然な作らない声。気に入りました。技巧に走らず、声の素(す)の美しさをたっぷり聴かせ、身振りもぴったり、久しぶりにめぐりあった好みのソプラノでした。名曲「私のいとしいお父さん」もレコードで聴くヨーロッパの名歌手の演奏のような感銘を残しました。 「こうもり序曲」の清冽なトランペット、香り高いオーボエ、色っぽくあだな感じのヴァイオリン、オーケストラの技倆は充分です。テンポは遅い。ねばりがあればいいのに、ないから遅く感じるのか。考えながらそれなりの楽しみで前半は終わりました。 後半、ドヴォルザークです。あの第3楽章のアレグレット・グラツィオーソも今日はうっとりさせてくれないだろうなと思いながら聴いていました。 室内楽のようにパートがくっきりし、響きすっきり、声部が交差する美しさも見せ、音程もアンサンブルもなかなか気持ちよく聴かせてくれます。 第1楽章の途中、わが守護天使(守り本尊の普賢菩薩?)が耳元で「クナ」と囁きました。1960年代まで活躍した指揮者ハンス・クナッパーツブッシュのことです。ハタとひざを打ち(演奏の最中にそんなことしません)、あとの楽しみかたが分かりました。演奏を聴くのではなく、音楽の骨格を聴けばいいと。 クナッパーツブッシュ氏のレコードでは、シューベルトの軍隊行進曲を実際に行進したら歩幅が乱れるほどのゆっくりとしたテンポで、正確なリズムの上に一つ一つの楽器を深く響かせ、ほかの楽器の表現をじっくり聴くことで自分の楽器の表現に反映させるという、有機的な大きく強い演奏を聴かせています。肉付きを見せるのではなく音楽の骨格を自然に顕せば自然と強い表現ができるということかと思います。 たしかに出来そこないの八朔蜜柑のようにスカスカなのですが、旋律のからみ合いの強さ、瞬間瞬間の響きの美しさ・強さ、垣間見える感情の深さ・優しさがよく分かる演奏でした。そして、ドヴォルザークのボヘミアの大地の色、土の豊かさが見えました。トランペット(絶好調!)、オーボエ、ヴァイオリン(19世紀からタイムマシンで来たような情緒たっぷりのコンサートマスターのソロ)、などなど、楽しみがいっぱいありました。 アンコールの「ロンドンデリーの歌」ではたっぷりとした低弦の響きを聴かせてくれ、ドイツからオーストリアにかけての伝統あるオーケストラのような音でした。昔、レコードの音当てをしたときに、ドイツの小都市のオーケストラと答えたら讀響だったことを思い出しました(ちなみに、フランスのオーケストラと答えたらN響)。当たらずといえども遠からず、というところでしょう。 帰途、上弦の月がきれいでした。阿武隈川に映った月を見て、プラハからのモルダウ川がドレスデンを経て、ベルリンからの支流と合流してハンブルグから北海に注ぐ大エルベ川を眺めているような気もして、幸せな気分で帰りました。 読売日本交響楽団演奏会
指揮:円光寺雅彦 |