演奏会見聞録
03年6月29日 クリストフ・エーバーレ指揮 |
それぞれの楽器の響きはウィーンのオーケストラ(ウィーン・フィル)でしか聴けない訛りのようなものをもっている。たぶん一つには音程(平均率とか純正調とかいうもの)、一つには音高(ピッチが高いときのような輝きのある音)、一つにはウィーンでの楽器の好み、一つには複数の楽器で同じ旋律をたどるときの音の出始めと合わせ方と音量調整のこの地方での好み。 でもすっきり響くはずのベートーヴェンがうるさい。団員のほとんどが若い人で、俺が俺がと美しい音や力強い音を聞かせて見せ場を作っているのに、全体の響きが騒がしい。指揮者が下手で交通整理ができていないのか、会場の残響が強くて慣れずにいるのかとも考えたが、どうもそうでもなさそう。音に身をゆだねることができず、楽しめないまま、時間だけが過ぎていく。 ピアニストが出てきてモーツァルトの協奏曲。明快なアタックで音をくっきり響かせ芝居の台詞のようにメリハリを付けるお姉さんと、夢見ごこちの遠くから聞こえるような響きで淡々と弾く妹さんと、合わせるところはきちっと合う気持ちよさ。オーケストラも前に出ず(ピアノ2台の陰で見えなかったが)、木管の音が陰から響いてくるのも美しい。あまり訴えるところのないモーツァルトだが、こんなものかなと、コリオランでの疑問を引きずりながら、時間が過ぎていった。 休憩後は「田園」交響曲。田舎に着いた気持ちの安らぎ、が感じられない。 第3楽章、嵐の情景を凄いテンポで演奏するところで、思い当たることがあった。ウィーン・フィルの指揮者にムーティが就いたころ、オーケストラをドライブしている感じがとても嫌だった。響きの良い楽器を響きが楽しめなくなるほど速く強く弾く感じ。でもやろうとしているのは勢いの音楽だったようだ。 爽快感と、迫力。この指揮者とオーケストラがやろうとしているのは勢いの音楽か。構造がきちんとした音楽であれば、勢いのあまり表面に現れた姿がざらついても、音楽の強さや美しさに変わりはない、ということだろうか。ブラボーの声が上がっていた。そういう感じ方があってもいいと思う。でも聞きたいのはこういう力ずくの音楽ではない。 アンコールにウィンナワルツを1曲。残念ながら曲名は知らない。こった造りの曲で、オーケストラの技量が十分に現れていた。 若い演奏家たちの野心あふれる姿はうらやましかった。だが、わたしの求める道はこの道ではない。 クリストフ・エーバーレ指揮 ウィーン室内管弦楽団 |