演奏会見聞録
03年12月9日 ウィーン室内合奏団 |
さくら通りから冷たい風の中を抜けると、文化通りの東の空に十六夜 (いざよい) の月、気持ちは自然となごむ。 ディヴェルティメントの五重奏 (左からVn1:Vn2:Vla:Cb:Vc) の音が響き始めると一瞬のうちに空気が変わる。ここは郡山? アンダンテ「歩くような速さ」の第1楽章。歩いてくるのは誰? 足音ではなく天使の羽ばたき? 第1ヴァイオリンのしっかりしたテンポの設定の上に、一つ一つの声部がそれぞれの響きを聞かせ、旋律を受け渡す。第1バイオリンとチェロ、コントラバスの名手に囲まれて、第2ヴァイオリンとヴィオラがいい音を出している。バランスもこの二人が底支えしているという感じ。侮れない双子のリー兄弟。密かに期待していたこの二人の予想以上の活躍で嬉しくなってしまった。 ウィーンでは第1ヴァイオリンの主導を引き立てるために他のアンサンブルがいる、というのはもう随分昔の話になった。 古典派、ロマン派の時代からのウィーンの響きの趣味の良さはそのままに、独立した部分が風に乗って混じり合うように清潔に響く。バリリ、ウェラー、ヘッツェルというリーダーの系列に受け継がれ、フィルハーモニーに登場するアッバード、クライバー、ラットルといった俊英の指揮者達の啓示を受けて自然に育ってきた音の好みなのだなあ。 成金の国のオーケストラが大きい音を出したり、強い音を出したりしている間に、古くからの資産を持ったこの国のオーケストラは資産を今の人間の考え方の上で活かしてよそにない価値を生み出していく。小津安二郎監督は「品行は直せても、品性は直らない」と言ったそうだ。品性を築くのが歴史、それもいっときたりとも気を抜かなかった生活の歴史というものなのだろう。 こんな曲が世の中にあるんだと、幸せをいつも感じさせてくれるクラリネット五重奏曲。ウィーンの人たちの演奏で聞けるというだけでバスで出かけてきたんだ。 左から Vn1:Vn2:Vla:Vc:Cl。10年ほど前にヘッツェル率いるウィーン室内合奏団で福島でこの曲のクラリネットを担当したトイブルが病気で、代わりにクリンザー、65年生まれの38歳。ウィーンのオペラやフィルハーモニーでゲストで吹いている人という。緊張して出てきたように見えたが、心配ご無用、ウィーンの人だもの。 きちんと揃った弦の出だしに続いて、クラリネットの音が一音響くと、おぬし、やるな、という感じ。ウィーンの若いのは違う。成熟していなければ出番はないのだ、この街では。音が美しい、強い音、弱い音、大きい音、小さい音、輝く音、くすむ音、こうでなければならないと思わせる力感、楽譜を何度読めばこんな風に吹けるんだろう。だんだん顔が紅潮していく。目が覚めるような速い部分の指運び、遠くから聞こえるような静かな部分と、レコードで繰り返し聞けばあざとく響くのかもしれないが、今夜は一度限りのコンサート、楽しんで聴かせていただきます。 第2楽章のラルゲット。ほのかな風に乗って天使が身を寄せ、そっと頬をなでていく。モーツァルトだから? ウィーンだから? 中間部の終わりで一瞬の沈黙。つづいてクラリネットが最弱音でゆっくりと歌い出し弦が寄り添って、楽章の始めの主題が懐かしく回顧される。続く第1ヴァイオリンの二つ目の主題も夢見るよう。天使の羽にそっと包まれ、心はもう天国。 第3楽章メヌエットのトリオで、4人の弦の間で受け渡されるタイミングの良さ、響きのバランス。たっぷりと伸ばして歌っても中身がこぼれず、林を抜けてくる風のように肌にやさしい。リズムに必然性があるということか。進化するウィーン。ベルクカルテットが先駆けだったのか。現代音楽が先鋭だったのもウィーンでだった。弱音の繰り返しで成り立つミニマルミュージックがあって、それをも呑み込んだ新しいウィーンの伝統。 第4楽章の変奏曲。チェロのソロがうまい。昔の人のようにめんめんと歌わない。ドライのシャンパン。 第2バイオリンとヴィオラの双子の兄弟。けっして隠れず、しかしアンサンブルとしてより大きなものを練り上げていくという感じ。 押しつけはせずに聴く人をゆっくり待ちながら、心の襞に静かにしみこんでいく最上のモーツァルトでした。 ここまででもう充分でしたが、シューベルトの50分もかかる八重奏曲を演奏してくださるとのこと、ありがたく聴かせていただきます。 弦楽の五重奏にホルン、ファゴット、クラリネットが加わり、左から Vn1:Vn2:Vla:Vc:Cb:Hn:Ft:Cl と並ぶ。 さあ、どうやって聴こうと思っていると、幸せな憧れの気分の底に深い悲しみが隠れているとでも言えばいいのか、息の長い旋律が順を追って響くシューベルトの未完成交響曲の人肌のぬくもりが漂ってきて、引き込まれてしまった。8人でやっているが、レコードで聴くウィーンフィルハーモニーのシューベルトの交響曲の響きが頭の中で鳴っていた。 第4楽章の変奏曲のテーマがアンダンテで流れてくると、軽やかでゆったりしたリズムは素朴なダンス、人なつっこさ、甘酸っぱさがほんのり漂って、「水車屋の娘」の世界。シューベルトが粉屋の娘と少し気取って踊っているところを想像してしまった。変奏が進むにつれて、チェロ・コントラバス・クラリネットの大活躍、自然と気持ちが浮き上がってくる。 第5楽章メヌエットは明るさとほの暗さが交錯する。ホルンが決然と吹き始めたり、短いがチェロの見せ場があったり、楽しさがたっぷり。 第6楽章の導入部は恐怖、あれは何だったんだろう。すぐ快活な行進風のリズムになって明るく曲は進んでいく。悲しみをかいま見せながら、ホルンの明るさが喜びの響きを強めていく。 ロマンティックなディヴェルティメント、なるほど、モーツァルトとシューベルトのディヴェルティメントで前後をはさみ、喜ばせてくれる幸福なプログラムだったんだと納得。 アンコールは2曲。 ホルンのおじさんが鳥の物まねの口笛、クラリネットが「カッコウ」と鳴く、ヨハン・シュトラウス2世のポルカ「クラップフェンの森にて」作品336。 リーダーの第1ヴァイオリンが「これで終わり」と、ヨハン・シュトラウス 「中国人のギャロップ」作品20。 アンコールにシュトラウスが2曲というのは、休憩時間に隣りの席のおじさんたちが話していたとおり。アンコールの後で、ご婦人の「サンキュー! 」の声があがったり、ここのお客さんは生活にクラシックがとけ込んでいるみたい。昔聴いたことがある。戦後の発展の中、暴力団の進出で「東北のシカゴ」と異名をつけられ、郡山の市民が「東北のウィーン」、音楽都市を目指したという話。今でも合奏や合唱で全国レベルの学校があるんだっけ。800席の中ホールは半分ほどの入りだった。もっと室内楽を聴きに行けばいいのに。 帰りには十六夜は見えなかったけれど、幸せな気分で気持ちよく帰途につくことができました。 ウィーン室内合奏団演奏会 モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K.137 ウィーン室内合奏団 Wiener Kammerensemble |