演奏会見聞録
07年6月1日 アンドレ・ワッツ ピアノリサイタル |
演奏されているのはバッハで、バッハならではの音の響きは聞こえるのですが、ピアノの音の良さに作曲家も曲名もどうでもよくなってしまいました。 テンポはゆったりとしているように聞こえます。実際は遅いテンポで弾いているのではないようです。トリルでは右手の速度を落とし、順番にひとつひとつの音が聞こえてきます。こうして、際だったそれぞれの音が総合されて、大きく芳香を放つ花が咲いていきます。声でリズムをとったり、時に歌ったり、見た目にこだわる様子はないのですが、美しく大きな音という資質を武器に、豊かな歌を広いところに押し出していきます。 この夜の一番の聞き物は、後半最初のベリオとドビュッシーでした。ベリオ「水のクラヴィーア」とドビュッシーの「沈める寺」は続けて演奏されました。 ひっそりと内に秘めたような「暗い雲」から、心を開くようなやさしいトリルが聞こえ、強い中低音の動きで豊かに話しかけてくる「エステ荘の噴水」。こんなに強く美しく明快な低音の「歌」はいままで経験したことがありません。 デビューからずっとスタインウエイだったが、90年代はヤマハを弾いていたようだ。当夜はスタインウエイ、打鍵がどんなに強くても割れも濁りもせず、彼の求める響きを鳴らしていたのではないかと思う。繊細だったり、輝かしかったりというのは、感じる機会があったが、弾き手によってこんなに強い響きを聴かせるピアノであることは初めて知りました。ホールの響きもよけいな音を付け加えず、演奏者の音への思いをそのまま伝えてくれるいいホールだと思いました。 不安な曲調や切迫した曲調でも、沈潜はしても陰鬱にはならない。楽天家なのだろう。そして打鍵の強さ、リズムの腰の強さと柔軟さという恵まれた資質を磨き上げた音の美しさ、この振れ幅の大きな表現はとても録音には入りきれない。コンサートで聴くことの大事さにあらためて気がついた夜だった。 会場に早く着いて近くを散歩していたら、やはり散歩していたピアニスト本人と顔を合わせました。藤色のジャケットで、にこやかな表情で肩を揺らして歩いていました。あせって考えもなしに日本語で声を掛けると、"Welcome!" と答えてくれました。擦れ違ってから振り返ると、肩先から紫煙が盛大に噴き上がっていました。30年も前のガーシュインの曲を集めたレコードの写真で、右手の指にシガーをはさんでいたのを思い出して、探してみました。”WATTS BY GEORGE!”。そしてバーンスタインとのブラームスの2番の協奏曲、友だちに教えてもらったレコードで、これがワッツを聴いた最初です。「沈める寺」収録のリサイタル盤もでてきました。昔のレコードでしばらく楽しめそうです。 アンコール曲は「P-N夫人の回転木馬」Carrousel de Madame P. N. (S 214a) リストの晩年の小品で、楽しいリズムの可愛い曲でした。 アンドレ・ワッツ ピアノリサイタル J.S.バッハ:コラール前奏曲「主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ」BWV639(ワッツ編) ベリオ:水のクラヴィーア |