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楽譜   演奏会見聞録

05年3月4日

清水和音ピアノリサイタル

モーツァルトのソナタが羽ばたき自由に飛翔する、というコンサートの開幕を予想していたのに、いつものモーツァルトとは違う。
中世の林を散策する夢見ごこちの幻想と言えばいいのか、「騎士」とか「霧の中」という言葉が心に浮かぶ。シューマンを聴いているときに感じる、遠く届かないものへのあこがれ、酸っぱいような青春の胸の騒ぎ。
作曲された時代にはこんな風に演奏されなかっただろうし、今の時代にこういう弾き方をする人は多くはないだろうが、時代の好みとして広く受け入れられた時期があったことは想像できる。あこがれに満ちていただろう浪漫の時代に連れて行ってくれたことに感謝。

2曲目はシューベルトの即興曲、次々と押し寄せる悲しみ。
晩年のといってもまだ30歳のシューベルト、その歳でこんなに深い悲しみに耐えていた。そばに行って、あなたは一人ではない、と言ってあげたい。
「水車屋の娘」にしても、「冬の旅」にしても、つらくなるのがわかっているのに聴きたくなる。シューベルトの悲しみは生きていることの証(あかし)だから、170年後の今の時代からも共感できるということか。
ピアニストは速い経過句で止めどなく押し寄せる高波のように胸を揺すり、大きな音で悲しみの深さを表現しようとしているようだった。音の流れだけでも作曲家の心は十分に伝わっていたのですが。

休憩後はショパン。
活け花のように積み上げて花を開かせては、反古にしてまた積み上げはじめる。サロンでの栄華と賛美、しかし共感を示す皮相な聞き手たちに心を開くことができない、都市の詩人の怒り肩。美を求めて世を生きることの息苦しさ。
「雪の降る街を」のメロディーが聞こえる幻想曲。冬の広場の寒さの中に夢見る大伽藍。ショパンは人気ピアニストだったはずだが、心の深いところの燠火(おきび)に秘めた熱を誰か見ていたのだろうか。
夜想曲は哀しいお話、スケルツォは名の通り、思いついた冗談がならぶ愉悦のショーピース。
強さの表現では大音響を轟かせ、前の席で聴いていたので耳が痛いほどだった。パンフレットにいわく「完璧なまでの高い技巧と美しい弱音」。美しく強い音というのもあるはずだ。
ともあれ、大雪のなか足を運んだ甲斐のあったロマンチックな音楽でした。

2005年3月4日(金) 18:30開演
福島市音楽堂・大ホール

モーツァルト ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調(トルコ行進曲付)
シューベルト 即興曲 op.90  D.899(全4曲)
ショパン 即興曲 第2番 嬰ヘ長調
ショパン 即興曲 第3番 変ト長調
ショパン ファンタジー
ショパン ノクターン 第13番 ハ短調 op.48-1
ショパン ノクターン 第14番 嬰ヘ長調 op.48-2
ショパン スケルツォ 第4番 ホ長調 op.54