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楽譜   演奏会見聞録

13年2月17日

福島市民オーケストラ

このオーケストラに出かけたのははじめて、地元で活動している団体ですが縁がありませんでした。誘ってもらわなければ出不精の身を動かすことはなかったでしょう。
乗り気でない、集中力に欠ける聴き手の目を覚ましたのは、後半のドヴォルザーク第8交響曲でした。
演奏会で出会うたびに親しみを感じる作曲家で、懐かしく聴き始めました。
このオーケストラの特徴でしょうか。ステージの隅から隅まで音があふれて、ステレオ効果のデモンストレーションのようです。響きが溶け合って上方にたなびいて消えていく、というこのホールならではの余韻は感じませんでしたが、迫力はありました。
楽員の意欲の表れでしょうか、それぞれのパートが躍動して音が響きます。スラヴの人たちがお祭りで喜んでいるような印象です。音量とともに勢いが増していきます。
そして第2楽章、アダージョのしみじみとした管楽器の響きに弦が加わって、いつのまにか激しく盛り上がって、感情がかき立てられたところに、一呼吸の沈黙がよぎったときでした。音の奔流の中に宇宙の裂け目が見えたような気がしました。マーラー、だと思いました。
濃紺に点々と浮かび上がる天の川の写真が使われている「復活」交響曲のLPレコードがありました。天国とか地獄とかいう物語りも人間が創造したものだと突き放してしまうような宇宙の広大さ、新星の誕生とか銀河の膨張とか、遙かに長いスパンの呼吸を繰り返す宇宙と卑小な人間との断絶、マーラーが譜面の向こうに見ていたのはそんな風景だと思います。
翻ってドヴォルザークはといえば、苦労人の温かさとか、街の人情とか、家族的な肌合いといったものをいつも感じていました。魂や神に正面から向かう姿勢は想像できても、宇宙と呼応するような印象を受けるのは思いのほかのことでした。
年表を眺めると、
1985年 ブラームス第4交響曲初演
1888年 マーラー第1交響曲初演
1890年 ドヴォルザーク第8交響曲初演
(作曲家48歳。このときマーラー29歳、ブラームス56歳)
同じ思潮を生きていたといってもいいようです。ドヴォルザークとマーラーを同じ土俵で考えられたのは意外な発見でした。これからドヴォルザークを聴くときには心構えが変わると思います。貴重な体験となりました。音楽史に断絶ということはないのでしょう。きっと人間の歴史にも。

アンコールにこたえて、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第1集第8番「フリアント」。地鳴りのするような低音の支えの上にねばり引き摺るような音楽でした。スラヴらしい、(スラヴの人に会ったことはありませんが)そう思って、活気に勇気づけられるような気持ちで聴いていました。

前半のスメタナは雑踏の喧噪のようで気がつくと終わっている曲でした。心が浮き立つ音楽ですが、いつも聴き終わるとなぜか何も残りません。この日もそうでした。いつかどこかでほんとうの価値を示してくれる演奏に巡り会えそうな予感がします。エルガーは不安な楽想がとりとめもなく、独奏チェロの熱演もどこを楽しめば良いのかわからないうちに曲が終わってしまいました。前の晩にCDで予習をしたのは役に立たなかったようです。後日復習してみましょう。
公演冒頭にチューバ奏者の追悼のためにチャイコフスキーの「弦楽のためのエレジー」が演奏されました。悲痛な演奏でした。この曲のことを学習していて 「ロシア音楽ノート」 というブログに出会いました。
指揮者はモルゴーア・カルテットでおなじみの小野さん。楽員の意欲をそがないようにでしょうか、せっかくの器を小さくまとめず、こぼれそうなほど大きく盛りつけてもらいました。

2月17日日曜日14時開演
福島市音楽堂大ホール
福島市民オーケストラ第57回定期演奏会

福島市民オーケストラ
指揮 小野富士
チェロ 服部誠

スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲
エルガー:チェロ協奏曲ホ短調 作品85
ドヴォルザーク/交響曲第8番 ト長調 op.8