演奏会見聞録
04年12月5日 雅楽アンサンブル 伶楽舎 |
演奏会に先立って「伶楽」についての講演があった。 国立劇場で企画演出を担当していた木戸氏は、華族会館で行われていた雅楽の演奏を聴き、リズムが不揃いでそれぞれの奏者が勝手バラバラに演奏しているとの感想を持った。ところが、その演奏方法は伝統に忠実に従ったもので、稚拙に聞こえたのは西洋音楽に慣れた現代の耳によるものであることがわかった。 あるフレーズにいくつの音を詰め込むかということ、密度がどれほどかということが大事で、同時に奏する人と合うかどうかは問題でない、というのがその演奏の伝統であった。 現代作曲家松平頼則の曲には、テンポは最後まで同じで音は最後に向かって増えていきクライマックスにいたる曲がある。間(ま)の密度をどうするかというところに関心がある音楽だ。 雅楽には「つけどころ」というリズムの一致についての約束事、「序破急」という構成についての約束事がある。王朝期の古譜から復曲し、また、正倉院に保存されていた楽器を復元し演奏するにあたって、近世に付け加えられた演奏方法での約束事は反古にせざるを得なかった。 国立劇場での上演にあたって、雅楽という名を用いることに斯界の権威の抵抗があったことから、使われた名が伶楽であった。もともと雅楽という言葉は明治3年の政府組織に雅楽部という言葉で現れたものが記録上最古のもので、それ以前は単に楽、式楽などの名で記録され、そうした名のひとつとして「伶楽」というものもあったという。 西洋の楽器、ヴァイオリンを例にとって考えると、音の大小、高低にかかわらず、音の強さ、強靱さということはそれほど変わらない。 正倉院遺物から復元された楽器「箜篌」(くご--竪琴・ハープ。張りの強さの調整ができず、オクターブに5音という音階の楽器。オクターブ12音の琴が優勢になり使われなくなった。)は、はじき方の強弱でささやくような音色から突き刺すような音色まで表現できる。 「拜簫」(はいしょう--パンフルート。一音ずつの管を横に並べた縦笛。演奏が難しく、一本で穴を抑えて高さの違う音を鳴らす尺八のような縦笛に取って代わられた。)も、吹き込む息の調整で強靱な響きを得ることができる。 このように伝統的な楽器では、音の大小、高低によって、音そのものが訴える強さが違い、まるで別の楽器のように響くという特徴がある。情報量が大きいということができる。(以上は木戸氏の講演) 第一部は古典曲。淡々としたリズムに力強い太鼓のビート、笛は強い音を連発する。アジア音楽の野趣とにぎにぎしさが感じられる一方、王朝のクールな気取りの一面ものぞかせる。 第二部では現代の作曲が演奏された。 平安時代の笛の譜に基づいて復元した「曹娘褌脱」(そうろうこだつ)では「方響」(ほうきょう--のど自慢の鐘=チューブラーベルのパイプの代わりに鉄板をぶら下げたもの)がシロフォンのような音を聞かせ、「阮咸」(げんかん)はバラライカを思わせ、「磁鼓」(じこ--リンクの画像は正倉院に伝わったもの。コンサートで見たものは鼓の形でだいぶ印象が違う。)は遠くから聞こえるやわらかい響きと、個性的な楽器のいろいろに耳を楽しませられた。 木戸氏の講演にあった「つけどころ」を廃した演奏の部分では、フリーリズムのジャズや70年代以降の各国の作曲家たちにも通じる音楽観が感じられ、同時代に生きている音楽家たちの創造する姿勢が見えた。 それぞれの奏者はより好ましく響くことを考えて音を刻み、音の配置は奏者に任される、そのように成り立つ合奏は季節、時間、奏者たちの感興に応じて即興で演奏され、いつも同じものにはならない。こういった音楽のとらえ方は近代の合理主義とはあいいれないものだが、音楽の伝統が爛熟の末に様々な新機軸を打ち出した20世紀後半のミニマル・ミュージックの中で日の目を見た。 「雅楽」の名を使うことを許さなかった過去の権威たちには受け入れることができなかったこういった新しい形式だが、20世紀に成長期を過ごした私たちには、即興の感覚が自然に身に付いているようだ。 こうして過去の音楽が復元されても、反映されるのは現代を生きる私たちの心情であり、うかがい知ることのできない、いにしえの人々の心情ではない。演奏家と聴き手の共感は、遠い時空の一点を燈台のように見つめ、自分たちの進む方向を確かめる。西洋の古典派、ロマン派の音楽を聴いているときも同じことなのだと、あらためて思いいたった演奏会でした。 雅楽アンサンブル 伶楽舎 12月5日日曜日13時30分から14時30分 |