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楽譜   演奏会見聞録

10年3月22日

林光・大石哲史

欧米人は言語は左脳で、音楽は右脳で聴くのに対して、われわれ(日本人)は「言語脳と音楽脳とが、言語と音楽などを別々に処理しているわけではなく、言語脳の方に一諸にとりこまれて処理される」(角田忠信「日本人の脳」大修館書店 1978-2005 93頁---Blog「内田樹の研究室」2008年6月18日より孫引き)
さて、歌曲を聴くときに言葉がはっきり聞き取れないのは脳のせい?
テレビの歌番組で字幕が流れます。こんな詞を歌っていたんだ、いままで気がつかなかったと驚くことがあります。
リート(主にドイツ語の詩に作曲された歌曲で、クラシック音楽の中でも重要な分野の名前です)を聴くときに、どうしても歌詞対訳から目が離せない、歌詞とその意味を暗記していればともかくも、対訳なしでは言葉が届かず、音と声の表情だけを聴いている、といったことがあります。
日本人が片側だけの脳で、言葉と音楽の両方の情報を処理し切れていないということでしょうか。修練を積めば違うのかもしれませんし、能力というのもあるかもしれません。
今日のコンサートは7割ぐらいは聞こえました。記憶しているのは少しですが、これはまた別の問題。大石哲史の日本語オペラの修練のたまものでしょう。

歌曲を聴くのは久しぶり。歌声は人を昔に戻すようです。小学校の唱歌の記憶でしょうか、歌曲の演奏会が少ないせいでしょうか。

シューマン「詩人の恋」。
1曲目は「美しい五月」・・・大好きなんです。歌い出しの音の並びですぐ夢見心地になってしまいます。"Im wunderscho(")nen Monat Mai"、'm' の音の柔らかさのせいでしょうか、手元にある英訳も 'In the marvellous month of May' と 'm' ばかりです。・・5月という奇跡の月に、新芽のときに、心の中に、恋が芽生えた・・
雨のあと湿って穏やかになった空気の中で若葉の輝きが目に入ってきます。世界を変えてしまうようなメロディーです。
日本語で「美しい五月」と歌い出されると、詩が読まれている、聴いている現場なのだという実感がありました。
大石哲史の発語は朗読のような明快さです。響きわたる声を出すために言葉が犠牲になったりすることはありません。心にとまった言葉を・・・。
「ぼくはあのこにうちあけたのさ」(美しい五月)
「きみとのキッスが元気のもとさ」(きみの目を)
「おこらないでね ねえさんのこと」(はれた夏の朝)

ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウだったら、ヘフリガーだったら、ボストリッジだったら、もっと別の感興がありそうには思いますが、時代も違い、聴衆の違いもあるでしょう。先人の名演はやはりレコードの中にしまっておきましょう。大石+林のコンビは、親しみやすく、中学生にもわかる「詩人の恋」を楽しませてくれました。
歌の技法といっても、誰でも歌を歌えるし、自分なりの歌の理想というのがあり、好きな歌手もそれぞれです。今日の演奏はわたしの好みの流派だったのでしょう。

平易な言葉で歌われる人肌のシューマン。等身大の青春を描いたシューマンに感謝。シューマンの音楽は憧れに満ちて、決然としています。ピアノ五重奏曲をお聴きあれ、ウルトラセブン最終回でモロボシ・ダンが出自を告白するシーンで流れたピアノ協奏曲も。

「詩人の恋」に先だって、ピアノ曲が演奏されました。
シューマンの名から S C H の文字をとり、 S C H = 変ホ、ハ、ロ の下降音型が素材の即興風の曲でした。「トロイメライ」風のところもあり、シューマンが書いていてもおかしくないような、親しみやすい曲でした。
名前から音列を作るというのは昔からあった手法のようですが、自分でもやってみたくなりませんか。

後半は林光の作曲による「ソング」集。16曲あったのは「詩人の恋」の曲数に合わせたのでしょうか。
「ソング」とは、「玄人(くろうと)だろうが、素人(しろうと)だろうが、相手をえらばないしたたかさをそなえた“ウタ”」(林光・歌の本「四季の歌」まえがき)とのことです。「ソングはもちろん英(米)語で歌を意味するが、英語圏を越えてグローバルに用いられる呼び名としてなら、時事小唄、歌われるライトヴァース、世相風刺歌、抵抗歌といった雰囲気も、そこには漂う。」という引用も演奏会のパンフレットにありました。
上等の歌謡曲と、わたしは思います。歌謡曲に敬意を込めて。

16曲のほとんどは初めて聴く曲でしたが、「魚のいない水族館」は覚えていました。黒色テント68/71「喜劇昭和の世界 第二夜 キネマと怪人」の舞台を見たときのようです。ずっと耳に残っていました・・斉藤晴彦、桐谷夏子、そして清水紘治が「そんなロマンチックな目で見るんじゃない」! 1977年7月5日火曜日平競輪場の駐車場、あれから33年!
「ゆうべあのこをだきながらおいらはそっときいてみた(舟唄)」はどこで聴いたでしょうか。佐藤信はすごかった。過去になった時代の空気を再構成していました、あこがれとあきらめで。

宮澤賢治の「グランド電柱」以下は原作です。

あめと雲とが地面に垂れ
すすきの赤い穂も洗はれ
野原はすがすがしくなつたので
花巻(はなまき)グランド電柱(でんちゆう)の
百の碍子(がいし)にあつまる雀

掠奪のために田にはいり
うるうるうるうると飛び
雲と雨とのひかりのなかを
すばやく花巻大三叉路(はなまきだいさんさろ)の
百の碍子にもどる雀(春と修羅)

同じく宮澤賢治の「すきとおるものが一列」

たよりもない光波のふるひ
すきとほるものが一列わたくしのあとからくる
ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り
またほのぼのとかゞやいてわらふ
そんなすあしのこどもらだ(春と修羅-小岩井農場)

しばらく忘れていた岩手の先達、また勉強する機会をもらいました。
そして、関根弘や中野重治の詩が歌われると、田村隆一や岩田宏、茨木のり子、高橋睦郎と、最近手をつけない詩集の数々が呼んでいるような気がしました。今日のお土産は「誰でも歌える」こととたくさんの詩集。
アンコールにヴォルフの「楽士」(アイヒェンドルフの詩による)ほか何曲か日本語で歌われました。

林光・大石哲史ジョイント・リサイタル 大石哲史 林光を歌う
2010年3月22日月曜日(振替休日)14時開演
福島県文化センター小ホール

大石哲史 うた
林光   ピアノ

プログラム

シューマン「詩人の恋」
(詩:ハイネ 訳:林光)
1.美しい五月
2.ぼくの涙が
3.バラも鳩も
4.きみの目を
5.ユリのさかずきに
6.ライン 聖い河
7.うらまない
8.ぼくの胸の傷を
9.ざわめく笛とヴァイオリン
10.あの娘のうたが
11.ジュンをふったヒロミは
12.はれた夏の朝
13.ぼくは夢で
14.夜ごと夢で
15.おとぎ話をひもとけば
16.できそこないの詩も夢も

林光のソングス
恋のへのへのもへじ(佐藤信)
舟唄(佐藤信)
魚のいない水族館(佐藤信)
壁のうた(斉藤憐)
赤い魚と白い魚(関根弘)
凍った魚のように(山本清多)
ちょうちょうさん(まどみちお)
キルキル(佐藤信)
グランド電柱(宮澤賢治)
すきとおるものが一列(宮澤賢治)
ゆっくりゆきちゃん(谷川俊太郎)
うたうな(中野重治)
八匹目の象の歌(ベルトルト・ブレヒト 長谷川四郎、林光・訳)
花のうた(佐藤信)
麦の畠は(ゲオルグ・ビュヒナー 佐藤信・訳)
この害虫(むし)だけは(吉行理恵)