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楽譜   演奏会見聞録

04年5月27日

仲道郁代ピアノリサイタル

久しぶりのコンサート。春先の仕事の疲れからやっと抜け出せる。梅雨に入れば鼻のむずむずも治まるし、開放的な気分で今日も1列目の真ん中の席へ。


今年のふくしま国際音楽祭はウィーン少年合唱団で幕を開け、こちらは勘弁させていただいた。今夜の2つ目のコンサートが私の今シーズンのデビュー。仲道郁代による全てベートーヴェンのピアノソナタ、「月光」「ワルトシュタイン」「熱情」という構成で、演奏時間は短いが、充実した演奏を聴けそうな予感。

プログラムが変更になったようでソナタ17番 ニ短調の「テンペスト」が始まる。

音楽堂でのソロピアノの魅力は、ピアノから放たれた音が上に向かって高く伸び進んでいく、音を目で追いかけるような楽しみ。今夜のピアノも、闇夜にひとかたまり抛られた碁石が夜のカーテンに貼り付いては消えていくのをつい目で追いそうになる。碁石の花がこちらで開きあちらで開き、それぞれは重ならず、大きさはいろいろ、拡がっていくのもあれば縮んでいくものもある。2つの花の対話が始まり、今度は3つの花と続いていく。嬉しくなってつい微笑んでしまう。

鋭さや指の動きの速さで引きつけることは考えていない。面取りをした一つ一つの音がにぶい光を放って強く響く。


曲目変更に動揺した観客のあっさりした拍手を受けて、2曲目の「ワルトシュタイン」が始まる。

ベートーヴェンの交響曲の楽しみは、オーケストラの全奏の中でもソロの楽器が確固とした響きを聴かせること。どの部分も隠れない室内楽のような響きを造るのがベートーヴェンの本領だったのかと思う。この曲のように大作りになると交響曲と変わらない組み上げが必要なようだ。音の塊が強い力を持って一つの面を作ると、次の瞬間別の面が取って代わる。月夜に突然の雲、流れていくと全く違った空になるという感じか。

旋律の線を編み上げるのがそれまでの音楽だとすると、ベートーヴェンは面の構成という新しい表現を発明したと言えそうだ。ベートーヴェン以後、それまでと違う意味でバッハが理解される。面とか位相とかいう言葉を使うとワーグナー以降の調性崩壊といわれる歴史も理解できそうだ。


休憩後の「熱情」は、技巧が表に顔を出す曲。ピアニストは獲物を追って駆け回るが、その手にあるのはナイフではなく、鉈(なた)。突き刺すような音を出さず、曲を力強く断ち割っていく。まばゆい技巧に目が眩めば作曲家の内なる響きは伝わらない、という考えだろうか。ベートーヴェンの本懐を見せてもらったように思います。

第2楽章の優しさは旧友の微笑みを懐かしく思い出させてもらえたし、第3楽章では仕掛け花火の大団円。音楽堂の闇に大きな花がいくつも咲きました。


プログラムの変更はピアニストの勘違いによるもので、とお詫びがあってアンコールに「月光」全曲。ピアニストも準備不足だったろうし、さすがに大曲3曲のあとでは聴き手も疲れて、響きの良さに流されながら、ひたすらこの音楽が惹き起こす懐旧の念にひたり、小学校の理科教室などを思い浮かべておりました。

アンコールはさらに「エリーゼのために」、モーツァルト「トルコ行進曲」、ショパン「ノクターン(第20番嬰ハ短調)と続き、観客を満足させてくれました。


仲道郁代ピアノリサイタル
2004年5月27日木曜日 午後7時開演
福島市音楽堂

ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調「月光」op.27-2
ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調「ワルトシュタイン」op.53
ピアノ・ソナタ第23番 へ短調「熱情」op.57