小倉寺村ロゴ


楽譜   演奏会見聞録

10年6月15日

モルゴーア・クァルテット

モーツァルトの第1楽章。弦の上で弓をすべらせていくうちに音が形になっていく。エマーソン・カルテットでは弓をすべらせているとは感じなかった。あちらが特別で、こちらは弦楽四重奏の普通のかたちということかな。
軽やかな断片の積み重ね。風の中を蝶々はまっすぐには飛んでこない。いつの間にか数が増えて、それぞれに飛び回る。
モーツァルトはどんな景色を見ていたのだろう。オペラでは筋があり、言葉があって、わかったような気持ちで聴いているが、それぞれの楽器が、やはりひらひらと、蝶々のように舞っていたんだ。バッハが音の並びで積み重ねたり飛翔させたりしていたように、モーツァルトも頭の中で音を飛ばせていたんだ、それも軽やかに、ひらめきのままに。音の並びは楽譜に示された記号に過ぎないのに。モーツァルトって!!!
湧き出る物が美しく流れていくというのとは、この曲では違うような気がする。どこかうつろな、突き抜けていかないような。天国の淵を手探りしている? 均質の糸で目がぎっしりと詰まった織物。
第2楽章、ゆっくりとしたアレグレット。ハ長調だというが柔らかい響き。細やかな転調。薄くてさらっとした麻のような目の織物。
第3楽章のどこか落ち着かない感じ。いつもレコードで聴いていてしっくりこなかった。7小節区切りだという林光氏の解説でなんとなくわかった。息継ぎができないような割り切れなさ。モルゴーアの織物の糸目はだんだん複雑になってくる。
第4楽章、快速のアレグロ。聴いたことのある下降音型があらわれ、構造物が組み立てられていく。この建築の手法はジュピター交響曲のフィナーレを思い出させた。太細のある糸で織られた絨毯。重くならないのは弦をこすることで高音の倍音が響くせいか。音が音を追いかけスピードがあがって快適、なのだが、音の動きが伝統的な心地よさを越えているような。時を越えてしまったモーツァルト・・・あ、それでシェーンベルクが続くんだ。

12音技法!と身構えてしまうシェーンベルク。
脈絡がないように見える石の並びが、振り返ったときにその場所以外に置き場所がなかったのだと気づく。第1楽章の音たちはそのように紡がれている。特徴的な5連音や警笛のような持続音、全体が生き物のように有機的な固まりを作っている。
第2楽章は夜・・・・・闇とうごめくもの。演奏会開始からここまでずっとこすっていたのではないかと思ったが、ここで初めて弦をふるわせて悲痛を歌う、しかしあくまでもアンサンブルのうち。
第3楽章はインテルメッツォは9/8拍子と12/8拍子の交代、第4楽章は7度と9度の跳躍と解説を読んでも、音の並びをたどる地図の役には立たない。歌のような節(ふし)であればまた帰ってきたときにわかるが、目の前で展開されているのは歌ではなく楽譜の中の音符の並びでしかないように思える。いま目の前に現れている景色と少し前の景色の違いを探して確かめては、心が移ろうわけを考えることしかできない。いつしか構成感のようなものはあらわれ、終わりが近い、終わった、というのはわかるが、強いられた緊張に心は置き去りにされたようだ。
調性という因習から解き放たれて音列に可能性を見たシェーンベルク。でも緊張の中で考えたことが楽しみに変わるのが演奏会というものだとしたら、この音列の運動というのはなんだったんだろう。
空を飛ぶ鳥も航路という束縛から自由にはなれない = Are birds free from the chains of the skyway? (Bob Dylan "Ballad in Plain D")

コルンゴルド、名前はみたことがあるが、聴くのは初めて。1897年ブルノ生まれ、ブルノはモラヴィアの首都、ヤナーチェク(1854年生まれ)の本拠地、モラヴィアはハンガリーの文化の影響を受けた地域とある。
第1楽章。3連音が引きずるように下降を繰り返す。悲しみの表現のように感じたが、悲しみの様々な形が要素として提示される。調性はあっても感情の振幅のせいか落ち着かない。
第2楽章、親しめる明るい音楽。バルトークにもこんな明るい感じの曲があったようだ。優しさの中間部、そしてまた明るいバルトーク。
第3楽章。マントヴァーニのように音をたっぷり保ったロマンティックな音楽。ドヴォルザークといえばドヴォルザークのようにも聞こえる。だんだんと調性がゆるんで大胆になってくる。真夜中のムード。マーラーにもこんな雰囲気があったような。
第4楽章。念を入れてアレグロの音を積み上げていく。夢見るロマンティックなバルトーク。最後は燃え上がるようなコン・フオッコ(火のように)。

荒井さんのアンコールの挨拶で、去年はハイドン、シューベルト、ベルク、今年もウィーンの特集で・・という話で、昨年の演奏会を聞き漏らしてしまったことにがっかり。ベルク、聴きたかった。新聞社主催の演奏会は他社では紹介されないからか、もっとまめに情報を収集しないとと反省。昨年のデータを載せておきます。

モルゴーア・クァルテット 福島公演
2009年6月9日火曜日 午後6時30分開演
福島市音楽堂
荒井英治・戸澤哲夫 ヴァイオリン
小野富士 ヴィオラ
藤森亮一 チェロ
プログラム
ハイドン:弦楽四重奏曲第37番ロ短調 op.33-1
シューベルト:弦楽四重奏曲第9番ト短調 D.173
ベルク:弦楽四重奏のための抒情組曲

バッハのフーガの技法をたとえに、聴衆の楽しみと無縁のところで音楽の中に入っていく純粋な世界、の話。観客に辛抱を強いるシェーンベルクというような話の後で、アンコールがシェーンベルク。23歳、「浄夜」の2年前の「スケルツォ」。まだ調性感がたっぷり残るロマンティックな旋律。(これならいくらでも聴ける。)トリオの流れ消える怪しい感じは蛍の光がふらふらするよう。

室内楽の観客の数は例によって大ホールに申し訳ないほど。モーツァルトで楽章ごとに拍手をしていた方や、大きい音を立ててパンフレットを床に落とした女性(仕事に疲れておいでだったのでしょう)、シェーンベルクはきつかったでしょうか? また足を運んでもらいたいものです。

モルゴーア・クァルテット 福島公演
2010年06月15日火曜日 午後6時30分開演
福島市音楽堂

荒井英治・戸澤哲夫 ヴァイオリン
小野富士 ヴィオラ
藤森亮一 チェロ

モーツァルト:弦楽四重奏曲ヘ長調 Kv.590
シェーンベルク:弦楽四重奏曲 第3番 op.30(1927)
コルンゴルト:弦楽四重奏曲第3番ニ長調 op.34(1945)