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楽譜   演奏会見聞録

06年10月31日

美輪明宏音楽会
=愛=

教会の鐘が響いて緞帳が上がる。上手に下がるパネルは踊る男女の影は赤と黒に染め分けた絵、下手には、煙のような造形。紗幕がそこここに下げられ、昭和初期の路地といった雰囲気だ。

主役の登場。光るシルクのブラウスに黒のパンタロン、裾は銀糸の刺繍が揺れる。
バックバンドの紹介。5人ほどの楽員が舞台を通り過ぎていくだけ、これ以後舞台には現れない。
予想を超えた盛況で大ホールが小さく見えた。開演後も続く入場者を待つように世相・世間についての話が続く。
戦前・戦中の軍政に「馬鹿野郎」「卑怯者」と容赦ない罵声が飛ぶ。日本人ほど無責任、卑怯な民族はないと。観客に60代以上は少数、20代から40代が中心、女性が多いが、若いカップルも目に付く。男ひとりでは気がひけましたか、ご同輩。
気がつくと、お香(コロン?)が舞台のほうから漂ってくる。

第一部は自身の作になる曲。
1曲目の「長崎育ち」でステージ中央奥の紗に天主堂だろうか、窓の影が写され、窓の下には水面で揺れる灯りと、舞台装置は雄弁。「ポンポン船の赤い灯が ユラリンコン ユラリンコン 波の上」と夢見るように、「お祭り好きのふるさとは ジャラリンコン ジャラリンコン 聞こえます」は気風(きっぷ)のよい若衆と、声も姿も表情たっぷりである。
1曲終わるごとに舞台は暗転、表情を変えてお話が始まる。

世相が、戦前のそれと似ているという話に続く「祖国と女達」。「祖国のためだと 死んだ仲間の 幻抱いて 今日も街に立つ ・・・ 大日本帝国バンザイ」という従軍慰安婦の唄。この人の歌にこもった情熱は、浅田次郎の「地下鉄に乗って」にも書かれていた焼跡・闇市の「むきだしの熱意」や情熱にもつながります。忘れてはいけないものがあります。
前の曲ではステンドグラスが投影されていた紗幕に、流れる雲がかかっていました。

ステージにひろがってくる霧。銀のストールをかけての「愛しの銀巴里」では「歓び哀しみ 泣いて嘆いて 崖を登るように苦しんでいたことも けれども私は歌い手ですから」と。泣けます。
「金色の星」。「ああ あの星は赤い光 恋に燃えてた青春の星 ああ あの星は青い光 悲しい別れに泣いた星よ ・・・ ああ あの星は金の光 希望に満ちた愛の光 ああ あの星をいつの日か 輝く思い出で飾るだろう いつか逢える愛する人と 金の星を」という歌詞を、彼は「き〜〜ん〜〜の〜〜ほ〜〜し〜〜を〜〜」と歌いましたが、わたしはベニアミーノ・ジーリを思いおこしておりました。一世代、いや二世代前のオペラ歌手の気持ちを揺さぶる歌い方です。

そして「ヨイトマケの唄」。小学校の授業参観で、前掛けをした一人の母親が子どもの洟をすすり、わきにペッと吐いた風景、それがこの歌のもとになっているそうな。そういう話を聞いて自分の記憶の中の似たような風景を思い起こせるのは、わたしたちが最後の世代でしょうか。
今さらですが気がつきました。この歌の主人公・・・大学を出たエンジニアで工事現場でたばこをふかしている・・・誰にもそういう友だちがひとりふたりいて、さかのぼれば「貧しい土方」もわたしたちには身近だった。この風景はどこにでもありました。失われた風景の中に忘れられないものがありました。

また教会の鐘が鳴り、第二部の幕が開くと観客のどよめき。舞台のそこここに花々、背景にも夜空へ続く花々の道。銀のドレスで主演女優? の登場。いつしかお香が強くなっている。
第二部はシャンソン。別れ、強がり、弱さ、涙、悔恨。シャンソンとはそういうものであったのか。「あの人をとうとう殺しました」(「思い出のサントロペ」)などという歌詞までも。美輪明宏の歌はほとんど演劇です。指先のあしらい、ドレスの裾さばき、軽いステップ、名女優です。
曲に合わせて、スカーフを羽織ったり、羽を身にまとったり。ちょっとした工夫で、イメージを変えながら歌っていました。「ボン・ヴォアヤージュ」は、中年女の歌。恋人と駆け落ちして親に勘当され、金づるにならないと男に裏切られても身を売ってまで彼を愛し続け、苦労の末に開いた店では金持ちの女客に彼を奪われ、酒に酔い強がりながら出航する彼を見送る、という設定で、「もういいの そんなに優しくしないで」、胸に迫ります。
「愛の讃歌」は自身の翻訳「・・・もしあんたが望むんだったら愛する祖国も友達もみんな裏切ってみせるわ・・・」の朗読に続くフランス語での歌。

最後の歌が終わると、観客が2人立ち、3人立ちして、総立ちの喝采の中、緞帳が下りる。
拍手が続くなか緞帳が上がり、座るように促されてひとしきりお話。「みなさまの愛にあふれる人生」と皮肉な祝福。緞帳が下がり、もう一度緞帳が上がってアンコール曲。
「老女優は去りゆく」。「人々の同情の眼 蔑みの眼にも私は耐えた なぜならば 私には女優としての誇りと自信があったから でもその後の想像を絶する人々の悪意 意地悪 屈辱の数々 でも私は負けなかったわ」、そして「出て行く迄明かりは消さないでね」と美輪明宏自作のこの歌で、虚実ない交ぜにして、意志のかたまりのような半生を歌い最後の幕が下りた。

休憩を入れて3時間。圧倒的な存在感でした。
歌の表現は、勢いをつけるところあり、なげやりな口調あり、発声も謡曲のようだったり、ベルカント風であったり、まるでオペラのように演劇性豊かなステージでした。

戦前の人たちが、素朴、純粋、真摯、といったものをあたりまえのものとして生きていた社会。それを伝えるのは、自分の世代の義務だという気持ち、それが「音楽会<愛>」と名づけたゆえんなのでしょう。

美輪明宏音楽会 =愛= L'AMOUR 2006
2006年10月31日火曜日18時30分開演
福島県文化センター大ホール

・長崎育ち
・祖国と女達
・いとしの銀巴里
・メケメケ
・黒蜥蜴の唄
・僕は負けない
・金色の星
・ヨイトマケの唄
・サンジャンの恋人
・あきれたあんた
・私は一人片隅で
・思い出のサントロペ
・恋心
・ボン・ヴォワヤージュ
・愛の賛歌