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楽譜   演奏会見聞録

04年11月8日

水戸室内管弦楽団

カール・ライスターを先頭に堂々の登場。
オーケストラ(=集団)とは違う身のこなし。それもそのはず、スターたちが並ぶ。
半円形に左からオーボエ1、オーボエ2、ファゴット1,ファゴット2,コントラファゴット、チェロ、クラリネット2,クラリネット1、奥にホルン1、2、3、右奥にコントラバス。
弦楽アンサンブルだとヴァイオリン1の席がオーボエの宮本文昭、ヴィオラ1の席がクラリネットのカール・ライスター。

はじめて聴く曲なのに、始まるとすぐドヴォルザークのなつかしい世界が広がる。でもこの曲は少し風が砂っぽいような印象。テオ・アンゲロプロス監督の映画の風景のようなゆっくりした、しかし踏みしめるような歩み。葬列のような。30代半ばで2か月のうちに長女、長男を亡くして間もないころの作品だという。しかし深く沈み込むというのではなく、悲しみをのみ込んだ明るさ、市井の人のしんの強さだろうか、心があたたかくなる。
五度の上昇音型をオーボエからクラリネットが引き継ぐ希望に満ちた旋律が印象的な第3楽章。意志的なホルンの響きにクラリネットが息の長い旋律を歌うと、目は響きを追って弧を描いてあこがれの中をさまよいます。行進のリズムで心が浮き立ちダンスのリズムで舞い上がる第4楽章。各奏者の名人の技巧、ホルンの推進力は厚い響きでベルリン・フィルを思い出させる。そしてオーボエの綿々とどこまでも伸びていく響き。元気の出る演奏でした。管楽セレナード、いい曲を紹介してもらえた。

林光の「悲歌」は夜の音楽。夏祭りに出かける途中の道の暗闇、それでなければ、日が沈み、すだれをたらしたままの縁側に蚊遣りをたてに行く薄暗がり。
バルトークの真空のようなどこまでもつづく黒い闇と違うのは、こちらの民族がもつあきらめの早さだろうか。真底問いつめることをしない。集団の中で感情を薄め、濃い「だし」を伸ばしてしまう。そうして乗り切ってきたことへの悔恨が悲しみをよじれたものにする。
ヴィオラのソロが長いため息を引きずり、合奏と合奏奏者のソロがゆるやかに、ときにうつろに話を交わす。
しんしんと迫る夜の風景は、作曲された95年にこの社会を包んだ言葉にならない不安、そして、何も改善されないのにうわついた気分でいる、いまの自分たちをうつしているのかとやるせない気持ちになった。
第2楽章になるとヴィオラのたゆたうような旋律が合奏に引き継がれる。もののあはれ?
静かに刻むようなリズムが速度を上げ単純なフレーズを繰り返していくうちに、こすれるような音から行進が始まる。葬列? 奇妙にのどかな、あれは田舎の葬式。ゆらゆらとうつろいながら照り映える夏の終わりのような日ざしを思わせる、あこがれまたはなぐさめのなかに曲は終わった。
ステージから招かれて、なかほどの席におられた赤いセーターの作曲者林光氏がステージに上がり、拍手に答えていた。私たちが立っている時代と場所とを見つめさせてくれたことに感謝。

後半は夜の音楽の本家、バルトークで再開。いぶした銀のようなにぶい輝きで、肌触りにうれしくなってしまった。民族舞曲がもとということもあるのか、異国を旅行するように珍しい風景を楽しむうちに気がつくと曲の終わり。
バルトークの民謡収集はハンガリー国内にとどまらず、ルーマニアやスロヴァキアへと調査に出かけていたが、第一次世界大戦開戦後は出かけられなくなったとパンフレットで教わった。バルトークの彼の地への思いが一瞬の夢のような楽しい音楽になったのだろうか。

いつもレコードでおなじみになってついハミングしてしまうほどのドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」が本日最後の曲。今日は林光の編曲になる弦楽合奏版。四重奏を五部にしてところどころソリストに活躍させるというただそれだけのことのようだ。
四本の先鋭な骨に肉が付き、たっぷりと量感のあるグラマーが出現という感じ。米をゆでて粒のまわりが溶け出したお粥といった印象もある。あたたかでほの甘いのに少しなじんで、梅干しで味の気配に驚き、じわっと体が震える。
耳慣れたメロディーを追うだけの聴き方になってしまう。気持ちのよさに思考停止。
このオーケストラの優秀な楽員たちがそれぞれの実力を存分に発揮して生まれる、この分厚い響きに漂っていれば、それで楽しめばいいのだと納得する。

いつも行動を共にして、磨き上げた精緻な響きというのとは違う。安芸晶子や潮田益子といったソリストたちが曲ごとにコンサートマスターをつとめ、ヴィオラ協奏曲のソリストだった店村眞積が「アメリカ」ではヴィオラパートの末席に座っている。年に4回の定期公演と、国内外の大都市での特別公演をする、フェスティバル・オーケストラ、スターたちの同級会。分厚い響きはこのオーケストラの限界だとも思う。

本日の演奏会は、今年没後100年を迎えるドヴォルジャークの2つの作品と、林光とバルトークの2つの作品から構成されたプログラムをお贈りする。
これらの作曲家に共通するのは、国家権力の抑圧に抗する、被支配者や市井の人々の視点をもって音楽を書いている点である。
さらに彼らは、自身の民族的な自立を出発点としながらも、人間の普遍的な価値の探求へと創作のスケールを広げている。
それ故、彼らの音楽こそ、多くの人々が希求した夢や祈りの集約されたものといえるのかもしれない。

これはパンフレットの最初のページに印刷された、当日のプログラムの目当て。ほかにも、時代背景、作曲の経過、曲の構成と、解説が1曲1ページにわたって載せられ、音楽会を聴くための、そして聴いた後で考えるための素材が提供された。当日の出演者一覧もあり、楽団員すべての名簿もあり、めざましいことだと感じながらパンフレットをめくると、オーケストラの事務局スタッフに「主任学芸員」「ライブラリアン」という肩書きを発見。目を開かれる思いだった。こういう人たちがオーケストラにいて、コンサートに通う私たちの理解を助けてくれる。

ひるがえって私たちの音楽環境を考えると、音楽を通して共通の感情を共有することを手助けする仕組みができているのか、心もとない。
ずいぶん前のこと、私たちのコンサートホール、音楽堂で、ステージマネージャーが舞台の袖であれこれ気を配っていたことがある。
その当時の催し物は、室内楽あり、古楽ありで、学生や高校生が発見の喜びに目を輝かせ、遠方からの観客もずいぶんいた。トン・コープマン指揮でヘンデルのメサイアが聴け、クレーメルはハーゲン四重奏団のメンバーと演奏し、ラトルとバーミンガム市のオーケストラの演奏会もあった。ゲアハルト・ヘッツェルのソロ・ヴァイオリンや、ホルディ・サヴァールのヴィオラ・ダ・ガンバが聴けたなんて、いま考えれば夢のようだし、ケマル・ゲキチがアンコールで聴かせてくれたシューベルト(リスト編曲)のセレナーデ、パユとル・サージュのプーランクのソナタ・・・・背筋がぞっとする演奏はこのあと聴くことができるのだろうか。
あのステージマネージャーがヴァイオリニストだということはあとで知ったが、彼が舞台の袖に現れなくなったころから、ファミリーコンサートのような企画が増え、室内楽や新進の演奏家の舞台が減っていった。事情はよく知らないが、彼はこのホールの「主任学芸員」の役目を担っていたのではないかと思う。彼がいなくなったあの頃から、演奏家を選ぶこのホールの「めあて」が「志」を失っていったような気がする。
大勢で出かけて楽しめるというのが指標なら、音楽は消費されるだけで、コンサートホールはただの社交場だ。芸術の天使はどこかへ飛び去ってしまう。
携帯電話の普及に象徴される軽い時代、社会全体が音楽までのみ込んだこの流れはどこからか引き返すことができるのだろうか。

水戸室内管弦楽団
2004年11月8日月曜日午後7時開演
福島市音楽堂

ドヴォルジャーク : セレナード ニ短調 作品44
林光 : ヴィオラ協奏曲〈悲歌〉(1995年水戸室内管弦楽団委嘱作品)
ヴィオラ独奏 : 店村眞積
(休憩)
バルトーク : ルーマニア民俗舞曲集 Sz.68
ドヴォルジャーク(林光編曲) : 弦楽四重奏曲第12番へ長調作品96〈アメリカ〉
(弦楽合奏版/水戸室内管弦楽団委嘱・初演)