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楽譜   演奏会見聞録

19年9月1日

岡田将ピアノ・リサイタル

ベートーヴェン「悲愴」ソナタ、ハ短調が一曲目です。
落ち着いた和音で始まる曲でここは Grave(荘重に)とあるところです。つつましい、いい響きです。まもなく Allegro di molto e con brio(すごい速さで動きも入れて)きらびやかなところになります。ここでふだん聞かない響きが。がしゃがしゃしゃらしゃら、大太鼓とシンバルがなっているような。耳のせいかもしれないし、初めて聴く会場だし、そのうち慣れるだろう、嵐のように荒れ狂う、ということで納得しておこうと。そのうち中音部にくっきりした、でも渋い旋律が聞こえてきます。バリトン歌手が歌い出したような、これがいい響きでした。抑えられない悲しさをなんとか伝えたいでもいうような。
第二楽章はゆったりとした歌です。静かな水面が浮かんできます。大きな水盤です。たっぷりの水、気持ちの揺れで流れができます。量が多いので慣性で水盤まで揺れるようです。ひとつひとつの音が連なって線になって、というよりも、大きな塊、動きになって大河をうねり下っていくような。
第三楽章、細やかな動きで親しみに満ちた音が流れます。指の動きがとっても美しい、鍵盤が見えない席で聞いていましたが。小さな音から大きな音まで振幅もあってバランスも良くて、いい思いもしました。リズムは几帳面かなあ、Rondo、踊るような律動がほしいなあ、と思いました。

ハ短調は「運命」交響曲と同じ調性で、迷いのない白いキー、というお話がありました。「悲愴」と次の演奏曲「熱情」は、外に対する怒り、の前者、失望・諦念、の後者、というお話も。

「熱情」ソナタ、へ短調。
Allegro assai(非常に速く)ですが、そんなに速くありません。一音一音に訴えたいことがこもっているようです。構造もきっちりしているようです。最初の曲で気になった、がしゃがしゃしゃらしゃら、ですが、たぶん意識して鳴らしているにぎやかさが、このピアノ、ベーゼンドルファー!、のきらめきと一体になって、祝祭感、とでもいうのかしら、そういう昂揚をもたらすものが生まれているようなのです。この作曲家をしばらく聴かなかったからかもしれませんが、熱くなるような感覚がありました。「熱情」?! それにしても、作曲家というのは、頭の中の狂気、そしてお祭り騒ぎ、をピアノに向かって叩きつけるなんて、どういう人たちなのかしら。
第二楽章、Andante con moto、歩く速さで動きをつけて。落ち着いた進行で、ものをよく考えろとでも言われているみたいです。あいかわらず中音域の当たりのやわらかい、歌がよく聞こえる響きが素敵です。休みなく第三楽章、Allegro ma non troppo、速く、そんなひどくは速くしないで、粒の立ったしっかりした音が続きます。快速、大輪の薔薇が次々開くというよりは、花火が次々に上がるようで、ゆったりはしていません。派手でさえあればいいというようにも聞こえます。演奏する人たちが苦労して辻褄をつけてくれているけれども、作曲家は心の中のぐしゃぐしゃを叩きつけていただけなんじゃないかしら。
いや、でもきっと違います。作曲家には心に物語があり、演奏家も物語の読み方、自分の描き方があり、なかには物語を描ききれない人がいるということかしら。作曲家がかわいそうに思えます。

ラヴェルとドビュッシーの前にお話が。
水の精、才ンディーヌ、と同じ題材を取り上げているが、気まぐれな側面をドビュッシーが、水の精と結婚した人間の男がその後別の女と結ばれると水の精はその男を殺さなければならない、そんな側面をラヴェルが、というような。

ラヴェル、ここでもしゃりしゃりとした高音域と芯のある中音域。でもここでは意味が明らかです。水面のきらめき、揺らぎ、陽の光と反射、水の力感、滝でしょうか、渦でしょうか。
ドビュッシー、リズムも音域も速いの遅いの高いの低いの、交錯して、なるほど気まぐれ、移り気、いたずら、です。
ラヴェルが水面を外から見ているのに対して、ドビュッシーは水底の方から見ているような気がしてきました。ドビュッシーには気泡や魚の群れが見えているようです。
休まずに「沈める寺」へ。
鐘の音と祈りの声、聖堂が海から浮かび上がり海の中に姿を消していく、そんなことを前に読んだことがあって、この日のピアノはその筋を音で追うように景色が浮かんできました。情景の喚起力、とでも言えばいいのか、高得点。
でもだいぶ前に聞いた演奏で、海の底が重い力でゆっくりと動き出すような響きの記憶があって(アンドレ・ワッツ!)、ああ、比較しちゃいけないな、と。

ここまで来てピアニストの技巧(響きも運指も)と感性にも共感できるようになりました。

いよいよリスト、会場でプログラムを見て、見ていた資料にはなかった「ヴェネツィアとナポリ」に小躍りしたのです。技巧ばっかりで面白くもないと思っていたリストなのですが、ピアノ曲集「巡礼の年」を聴いて、敬虔さや幻想、夢見がちなところがあるのが分かって、宗旨替えをしたというほどではなくても、聴くようにはなりましたから。
「巡礼の年」は第1年スイス、第2年イタリア、第3年、これは地名はありません、の3集になっていますが、「ヴェネツィアとナポリ」は第2年イタリアの7曲にのちに追加したもので3曲からなっています。
霧の向こうからでしょうか、だんだん近づいてくるのはゴンドラ、歌声が聞こえてきます。第1曲「ゴンドラの歌」、なつかしく響きますね。ピアニストは何を見ているのかな。たっぷり響かせると、名歌手が自由に歌い上げているようです。いつの間にかゴンドラは去っていました。
憂いを帯びて瞑想でしょうか、第2曲「カンツォーネ」。思いは昂まっていつかまた瞑想に。
ゴロゴロと始まるのが、第3曲「タランテラ」。激しい踊り、足のステップはどうなっているのか。おどろおどろしいような、ゴジャンゴジャンとたっぷりピアノを鳴らせ、揺らせて、ひと段落するとまた歌が始まった。気持ちよく歌を歌っている。宗教的、とも思うような敬虔さに傾いたりしても、やはり響きの豪華さ、華麗な指使いに現世に引き戻されます。

最後は「ラ・カンパネッラ」、鐘の音が鈴のようにさやかに聞こえるのは、このピアノのお手柄でしょう。中ほどから爪先立つような踊りのリズムになりますがこんなに上手に踊れるのにベートーヴェンのロンドで踊らなかったのは、彼の主張なんでしょうね、きっと。軽やかで気持ちのいい速さ、これ見よがしなところのない楽譜に求められた技巧。演奏会を締めくくるのにとても気持ちの良い演奏でした。

ベートーヴェンからラヴェル、ドビュッシー、リストという幅の広いところを弾き分けていたので相当張り詰めていたんでしょうね。アンコールはありませんでした。

「あの若いベートーヴェンの憂鬱きわまる自画像」「ハイドンのいわゆる『凶暴野蛮なモール人』」、ベートーヴェンの別の曲のことではありますが、吉田秀和老師が書いていました。最初に気になった刺激的な響かせ方、が気になっていたのですが、この語句を読んでそういうことかと思うようになりました。
書いた人がいて、こんな響かせ方が可能なピアノがあって、弾きわける人がいて、この日のベートーヴェン、ドビュッシー、ラヴェル、リスト、があったのだなあ。
ベーゼンドルファーは以前にも聴いたことはあるのでしょうが、このピアノの響きについて考えたのは初めてです。中音域の歌い方が気に入りました。そこにあった古木が木立の中から姿を現すように見えてくる、クーンと人懐こく語りかけてくる歌。吾れここにあり、と言揚げするようにトーンと伸びてくるのがスタインウェイ、ポゴレリッチのレコードで聴いただけではありますが。
観月台クラシックフェスティバルとして、このベーゼンドルファーによる連続公演のようですので、また出かけるのが楽しみです。

2019年9月1日日曜日14時開演
国見町観月台文化センターホール
開館25周年記念観月台クラシックフェスティバル第1回公演
岡田将ピアノ・リサイタル

岡田将 ピアノ

ベートーヴェン:ピア/・ソナタ第8番「悲愴」Op. 13ハ短調
ベートーヴェン:ピア/・ソナタ第23番「熱情」Op. 57 ヘ短調
ラヴェル:水の精(「夜のガスパール」より)
ドビュッシー:才ンディーヌ(前奏曲集第2卷第8番)
ドビュッシー:沈める寺(前奏曲集第1卷第10番)
リスト:巡礼の年第2年追加「ヴェネツィアとナポリ」
第1曲「ゴンドラの歌」
第2曲「カンツォーネ」
第3曲「タランテラ」
リスト:ラ・カンパネラ