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楽譜   演奏会見聞録

17年10月14日

ラ・プティット・バンド

管弦楽組曲第3番というのはあのG線上のアリアが入っている組曲です。オーケストラでジャーン ジャラララーン ジャラララーン と賑々しく始まるやつです。ところがステージには真ん中にチェンバロ、その手前に左からヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンと弓形に、合計5人だけの登場です。なるほどパンフレットには「弦楽合奏版」と。
演奏会一曲目からいつもレコードで聴いているのとは違う、異次元の空間に突入です。劇場ではなく、真空の無重力、宇宙船の中にいるようです。
アリアは聞き物でした。ヴァイオリンは右端と左端にいますが、右のヴァイオリンは歌を歌う担当、左のヴァイオリンは飾りの担当、装飾音をからめる担当、となっていました。双方の違いなのでしょうか、歌の方は音が舞い上がるように広がっていくのに対して、装飾音の方はピンポイントでヴァイオリンそのもののところでしか響かないのです。
ガヴォットはダンスの音楽ですが、村の集会で少女たちが踊るような素朴なものでした。バレエのように鋭い動き、硬直と伸展というのではなくて、手を繋いで会釈をしたり屈んだり膝を傾けてみたり、親しい風景が浮かんできました。ブーレも踊りのはずですが、とっても速くて、ここは名人の見せ場かなと。

「音楽の捧げもの」からトリオ・ソナタです。
フルートが登場。木でできている太い筒ですから、音が出るまでオーボエだろうと思っていました。
中央にチェンバロ、その手前にチェロ、観客席から見て左にフルート、右にヴァイオリンという布陣です。
ヴァイオリンの音が心地よくて、マタイ受難曲のレコードのヴァルター・バリリを思い出しました。身振りの大きくない、それでも情感が伝わってくる清潔な歌、とでもいうのでしょうか。不思議なのはこのホールでいつも聴くときに、ヴァイオリンの響きが上へ昇っていって漂って消えるのですが、この人のヴァイオリンはピンポイントで聞こえるのです。鷹揚なフルートの音が舞台全体に広がっているのに、まるでフルートのカーテンに30センチメートルぐらいの穴が空いていてそこからヴァイオリンが見えるような。ヴァイオリンが見えているから、音が聞こえるんじゃないか。前の席だから見えたけれども、後ろの席の人にはぜんぜん聞こえていないんじゃないか、とも。目を瞑った方が聞こえてくる音楽に慣れていますが、今日の音楽はそうして聴くものとは違う成り立ちの音楽のようです。
チェロは好きに感情を放出しているんじゃないか、独奏者のように歌っています。チェンバロはリズムの補強だけなのでしょうか。ほとんど音が聞こえてきません。

チェンバロ協奏曲ではチェンバロを弦楽四重奏が半円で囲みます。ヴァイオリン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの順です。ヴィオラはチェンバロ奏者の陰に立ちます。そうそう、始まってからずっとそうなのですが、チェンバロとチェロは椅子に座って、ヴァイオリンとヴィオラは立って演奏しています。
ここではしっかりチェンバロの音が聞こえてきました。シャキシャキガシャガシャというレコードの音とは違います。電子ピアノと言ったのではわかりませんね。ギターの弦を何本か一緒にゲンコツで叩くと奥から湧いてくるやわらかい木質の音。むかし高橋悠治が電子ピアノでこの協奏曲を弾いたのを思い出しました。宇宙船の中で電子音のバッハが聞こえてくるような。弦楽オブリガード付きのソロ・ソナタ、とでも言えばいいんでしょうか。レコードではリズムの緩急で劇を見ているような気分になったりしますが、低速運行の電車のように、おだやかに着実に音を積み上げていくチェンバロでした。チェロはピツィカートで主張し、ヴァイオリンたちは刺身のつまのように装飾する役割です。

カンタータ「われ心満ちたり」
全部で8曲、偶数の番号の曲はアリア、奇数の番号の曲はアリアに先立つ詠唱レチタティーヴォです。
ソプラノは全曲歌い、通奏低音(チェロ・チェンバロ)も全曲伴奏します。加えて、
第2曲 オーボエ2
第3曲 ヴァイオリン2・ヴィオラ
第4曲 ヴァイオリン1
第6曲 フルート
第8曲 フルート・オーボエ2・ヴァイオリン2・ヴィオラ
が伴奏に入ります。
並び順はフルートがいるときは客席から見て左側、オーボエがいるときは右側、チェロはチェンバロの手前、ヴァイオリンはチェンバロの左側、ヴィオラはチェンバロの右側です。
構成と並び順を書き起こしただけで、音の組み合わせを思い出すことができそうです。

歌詞は「満足の勧め」とでも言えばいいでしょうか。
心配したって財布も胃袋も満たされない。物持ちでも心がからっぽなら何も持っていないのと同じ。貧しさの中で豊かでいられれば天の宝が宿る。世界の大海を究めることは危険で虚しく自分の中に満足の真珠を見出すべきなのだ。(川端純四郎さんの訳 http://www.jade.dti.ne.jp/~jak2000/page002.html#204 をもとにしました)クイケンさんは「富や贅沢なくらしを目指すかわりに、心の安らぎに幸せを見いだすことや、どんな状況でも平静でいること、そして自身の良心の中にある本質だけに注意を向けるよう促されています。」と解説しています。

とはいえ、演奏はぜんぜん説教くさくないのです。ソプラノのあたたかいきれいな声、言葉の聞きやすさ、キャスリーン・バットルという人を舞台で聴くとこんな声かもしれないな、歌声に思わず微笑んでしまいました。器楽奏者たちはそれぞれに音の襞が揺れるような響きで、一人一人のバッハに対するあこがれがその人なりに違う表情を浮かべて、一体のというよりは、綾なすような調和を見せていました。あたたかくて暖炉の前の家族のようです。
この人たちのやっていることは、音楽は特別な人がやるんじゃなくて、家庭で楽しみにやっていても、精妙なことが伝わるんじゃないか? ってことだったりするのでしょうか。

アンコールはカンタータの最終曲、アリア「天から与えられる満足よ」をもう一度演奏してくれました。

2017年10月14日土曜日14時開演
福島市音楽堂大ホール
ラ・プティット・バンド コンサート

ラ・プティット・バンド
ヴァイオリン:シギスヴァルト・クイケン、サラ・クイケン
ヴィオラ:マルレーン・ティアーズ
チェロ:ロナン・ケルノア
フルート:アンネ・プストラウク
オーボエ:ヴァンシャンヌ・ボウドユイン、オフェル・フレンケル
チェンバロ:バンジャマン・アラール
ソプラノ:アンナ・グシュヴェンド

J.S.バッハ:管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068(弦楽合奏版)
J.S.バッハ:音楽の捧げ物BWV1079よりトリオ・ソナタ
J.S.バッハ:チェンバロ協奏曲第5番ヘ短調BWV1056
J.S.バッハ:カンタータ 満足について われ心満ちたりBWV204