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楽譜   演奏会見聞録

12年2月1日

京都市交響楽団

「光あれ!」。指揮棒一閃、いや指揮棒は持っていなかったので両手一閃、イタリアの陽光が射し込んだよう。
「影あれ!」光と次の光のあわいにかげりがよぎり、その立体感といったら。ひさしく忘れていた音楽の彫刻、造形、前にはどこで感じたのでしょうか。(アンドレ・ワッツのピアノ?)
レスピーギ、リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲。イタリアの音楽に憧れていたので、この選曲を見て出かけたのでしたが、期待は裏切られませんでした。弦楽四重奏を厚くしたような(第1ヴァイオリン6人)わかりやすい音の構成が、親しみやすく感じました。
夕陽のオレンジ色のような「イタリアーナ」を序曲のようにして、「宮廷のアリア」はヴィオラに歌われる悲しい歌で始まり、伸びやかな次の歌から、悲しい歌が返ってくる構成でした。「シチリアーナ」、ほら「ジュピター」をヒットさせたひらはらあやかさんが有名にした曲です。明るい海辺の景色が浮かんできます。
四つ目が最後の「パッサカリア」、四声部がそれぞれ競い合うように盛り上がり、聴きながら、ミケランジェロのダヴィデ像を思っていました。力強く、くっきりとした響き、安心した心持ちで、広々とした景色に胸を張るような堂々とした曲でした。終わり近く、チェロのメロディーをたっぷりと、しかも割れんばかりの音量で響かせたのが、指揮者の力業(ちからわざ)なのかもしれません。最近お目にかからない表現の強さを感じさせる演奏でした。
高貴さと強さ。500年も昔のリュートの曲の楽譜をもとに書かれた弦楽合奏曲だそうです。コロンブスの時代! 昔も今も光に満ちたイタリアを感じさせる、何とも気持ちのいい曲です。

ドビュッシー「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」では黄金色のハープが登場。協奏曲のソリストの場所にハープがあるなんて、何というぜいたく。プログラムには演奏時間5分と書いてあるのにです。
ドビュッシーというと、カーテンの向こうでもやもやと動いている、そんな感じだったのですが、このごろそうでもなさそうだなあと思い始めていました。ピアノ曲でも響きが柱や扉のように奥行きを感じさせ、目の前で音が厚みを持って息づき始めるように感じることがあるからです。
今日の演奏でも、弦の各部の音そのものが溶け合ってしまわないようにくっきり分けて示してくれたようです。音が舞台に滞留して宙に消えていくのではなく、客席に向かって音を放出するようでした。それぞれの楽句がしっかりと立ちのぼって、世界そのものの意味にそれぞれの向きから光を当てているように聞こえました。ドビュッシーは印象派でなく、象徴派なのだという言い方がぴったりくる、そんな思いでした。ドビュッシーの音楽をもっと演奏会で聴くことができればいいですね。

1楽章だけでもモーツァルトの管楽器の協奏曲が聴ける! それもクラリネット協奏曲。ここではじめて管楽器の楽員が登場、モーツァルトをどんな風に聴かせてくれるのかと期待が高鳴る。緑色のドレスでソリスト登場。アダージョ、たっぷりした速度、たっぷりしたひとりごと、クラリネットとオーケストラが居心地のよいメロディーを歌い交わす。レコードで聴くと彼岸のような精神世界にトリップしてしまいがちですが、舞台に奏者がいるとクラリネットの肉感的な音のふくらみや伸びもあって、人臭さも強く感じらることができます。同じ時代に生きている演奏者とわたしたち、同じ世界に生きているモーツァルトとわたしたち。人間的な天国といったようなことを考えていました。

ジュピター交響曲。ティンパニ奏者とトランペット登場。開会前も休憩時間も舞台裏からトランペットが聞こえて、今日のプログラムにトランペットのパートはないのに、と不思議がっていたら、完全な勘違い。この夜はティンパニが活躍、スコーンと快音を響かせていました。トランペットも管楽器の一員として景気を付けていて、なぜか、バッハのクリスマスオラトリオを思い出しました。祝祭のような気分。お祭りの中で、いろんな音が交差していきます。編成が小振りで響きが混ざり込まないこともあるのでしょうか。そういえばハイドンの音楽もやんちゃなところがいっぱいあります。潔癖なリズムに遊びもあって。モーツァルトはハイドンの同時代人ですね。
指揮者は、肝心なパートに向かって腕を伸ばしたり相撲の押しを見せたり、はっきりした指示を出しているようです。ヴィオラのパートに指示をするときは、こちらにも横顔が覗えます。客席には注目するパートを教えてくれているような案配で、指示通りに音が響いてくるのを楽しむことができました。
2楽章のアンダンテ・カンタービレ。弦楽器がたっぷり歌ってくれました。
3楽章のメヌエットでは下がっていく音型にひきこまれてははっきりした音に揺り返されたり、4楽章の追いかけてはたたみかけるような動きのなかでの光と陰の交錯。モーツァルトが提供してくれる光の強さに圧倒されます。どんどん照らすから、影とそのあわいで皆さん自由にやってくださいよ、モーツァルトがそう言っているような。
マルセル・デュシャンの「階段を下りる裸体 No.2」という絵を思い出しました。光と陰、力と動き、額縁のなかに力が充満して、轟音まで聞こえてくるような絵です。温度が移ろい輝きが移ろうような景色が音になっている。このジュピターはそんな演奏だったようです。
きちんと整えられてまろやかで気持ちを温かくしてくれる、それで充分なのかもしれません。でも演奏会は心が勇気を持つ場であってもいい。みんな精一杯弾けよ、響きとかたちはおれが責任を持つからな、指揮者がそう言っているような。
最終楽章で繰り返された「ドーレーファーミー」が冷たい帰路でも頭の中で繰り返されていましたっけ。

大変な盛り上がりで客席からも声が上がる中、指揮者のあいさつのあと、「ふるさと」の演奏、客席の合唱指導も(ウィーン・フィルハーモニーの新年演奏会のよう!)。
被災地を支援するコンサートということで無料での開催だったのに、充実した音楽体験ができました。舞台の看板に曰く「福島支援コンサート 心温まる音楽を」、温まるどころか光と熱で燃えてしまいそう。心が熱くなって帰ってきました。

2月1日水曜日6時30分開演
福島テルサ FTホール
京都市交響楽団 福島支援コンサート

京都市交響楽団
広上 淳一(常任指揮者)
松村 衣里(京響ハープ奏者)
小谷口 直子(京響首席クラリネット奏者)

レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲
モーツァルト:クラリネット協奏曲イ長調K.622から第2楽章
モーツァルト:交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」