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楽譜   演奏会見聞録

05年11月25日

キエフ国立フィルハーモニー

相撲の手なら「ぶちかまし」。ダンプカーのようなオーケストラ。生気にあふれてはいたし、奏者たちの技量もたしかで、音色は輝いていた。
ただし、スポーティーでもなく、立ちはだかる壁でもない。


空色のドレスのソリストが登場、チャイコフスキーのピアノ協奏曲が始まる。
ほっそりしていても腕には力こぶ。音量も十分、オーケストラに負けない。さすがソリスト、一枚上である。
夢見るようなファンテジー、仰ぎ見る星が現れるようだったらいいのに。そういう瞬間はあったが、作曲家がそのように書いたからだったか。
めくるめく陶酔の、とろけるような忘我の時は訪れない。大向こうをうならせるようなこともない、たとえはったりでも許してあげたのに。
「いま」の演奏様式、ねばりつかず、ひきずりこまない。ひきずりこめない? それともそんなのははずかしい?
合理的なチャイコフスキー。ピアニストが強打、強打で突き抜けても、ああ、ないものねだりだ。こちらが欲しい輝きはない。
あのピアノコンチェルト、高倉健の「冬の華」で流れていた曲なのに。

チャイコフスキーとは誰だったのか? 
表現のきらびやかなこと、なつかしいこと、胸を締め付けるあの苦しさ、ひとときの夢、それはわかる。でも生活は? 私たちの生活とは、いまを生きる私たちの生活とは、どう関わるのか?

ひたすらあこがれを募らせてクライマックスをめざす第3楽章。取り残される21世紀を生きる私。

曲が終わって気持ちの整理が付かない私に、ソリストは「リストのラ・カンパネルラを弾きます」と決然と日本語で。ソリストはリズムをきちんと刻みながら、鐘の響きを再現していた。どうぞ、どうぞ、私の知っている鐘の音はそんな器械体操のような音とは違いますが。私の鐘の音は濡れたような気持ちを溶かす音でしたが。


さて、チャイコフスキーの「悲愴」交響曲。
在日ウクライナ大使館の広報によれば、ウクライナの人口は4,900万人、ウクライナ人が73%でロシア人は25%。ウクライナ語人口66%、ロシア語人口33%。ギリシャ正教とローマ正教(カトリック)もあるが、ロシア正教が多数派で、クリスマスと、復活祭と、Trinity 三位一体の日が国民の休日になっている。ロシア人はわかっても、ウクライナ人とは?
キエフとかオデッサとか歴史で出てきた地名は知っていても、よくわからない。
プロのオーケストラは20もあるらしく、あちこちの小さいレコード会社に録音していて、競争はきびしそうだ。
どうしても商業主義から離れられない。今の時代、音楽とはそういうものなのだろう。
閑話休題。大事なのはそんなことではない。

第1楽章始めのコントラバスとファゴットからして音が大きい、フォルテかと思うほど。ただし、ロシアの地の底からの響きは期待はずれ。穀物どころのウクライナだからしょうがないかと思ったり、低音をたっぷり響かせるのはこの辺の伝統ではないのかしら。腰高、軽い低音部。ティンパニの一撃から怒濤の行進、にぎやかなチャイコフスキー。
いつか聞いた第2楽章はチャーミングな踊りの音楽だったが。大きくたゆたう呼吸もない。
3楽章。それにしてもこの騒ぎは何。割れるほど叩くティンパニ。心臓がドキドキ鳴り、黙っていても額に汗が。所詮音楽とは音響? 違います。この音楽にも哲学というものがあって、いくつかのレコード演奏で心を動かしてくれたものがあったのに、残念ながら、この夜のコンサートには興奮だけがあったということでしょう。
第4楽章が静かに消え入ると、観客から声も拍手も起こらず、指揮棒が降ろされ、楽器から手が離されて初めて、静かに拍手が起こった。耳に心地よいコンサートの終わりだった。

アンコールはなし。充分である。すべて聴いた。これ以上のものはこの演奏家たちからは聴くことができない。


前半の最後のコンチェルトが終わってピアニストに客席の紳士が花束を贈った。後半のシンフォニーが終わって指揮者に客席のご婦人が花束を贈った。
客席の観客から花束というのはこのホールではあまり見かけない。どうやら主催者の手配による新機軸のようだ。微笑ましいものでした。ご苦労さまでした、畏友T氏、そして奥さま。


2005年11月25日金曜日 開演 18:30
・ グリンカ/歌劇「ルスランとリュドミュラ」序曲
・ チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番
・ チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
ピアノ:アリス=紗良・オット
指揮:ニコライ・ジャジューラ
キエフ国立フィルハーモニー交響楽団