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楽譜   演奏会見聞録

18年12月9日

石坂団十郎&小菅優

ピアニストは柿渋のドレスで登場、ピアノの決然とした一閃で「恋を知る男たちは」変奏曲の主題が始まります。しみじみとした主題、青年ベートーヴェン(作曲当時三十歳ぐらい)は思ったよりしなやかです。「恋の痛みを知る人はまっすぐな心の持ち主よ」「切ない恋の悩みを女の子も感じてくれないとね」というのが元の歌詞です。変奏の四番めでしょうか、短調で人の温もりのようなものが。厳しい表情の肖像画が多い作曲家ですが、人は見かけに…とか。いつの間にか見上げるような気高さが。楽器の鳴る音が大きいわけではないのですが、しっかりとしたチェロの響きはホールの反響かもしれません。ピアノも海鳴りのようにどろーんどろーんと力強く、重みのある球体が、少し重心がずれていて、唸るようなごろんごろんと音を立てて転がって進んでいく、このピアニストを聴くと必ず思うことですが。いつか見たマルセル・デュシャンの「階段を降りる裸体」という絵を思い出すのです。

二曲めはホルン・ソナタのチェロ編曲版。
耳に届いたのは旋律でも拍動でもなく、蒸気機関車の車輪、移動する力感でした。作曲家は力と動きに喜びを感じていたに違いありません。動機は旋律の形にならず転がって行く。ピアノの重音の高速の下降に胸が踊ります。
アレグロ・モデラートの第一楽章に続く第二楽章ポコ・アダージョ・クアジ・アンダンテ、次の楽章への序奏と資料にはありましたが、ゆっくりと歩くアンダンテ、足元を過たないようにやさしく確実に進んでいきます。チェロに叙情の旋律が出てピアノが跡をたどります。
気がつけば第三楽章へつながっています。明るいロンド、ピアノが気持ちよく転がります。
楽譜が出版されたときの表題は「ホルン又はチェロを伴奏とするピアノのためのソナタ」、なるほど伴奏付きのピアノ・ソナタというわけです。ピアノの音がひとつひとつ粒立って確実に届いてきます。小さいけれどもいい会場です。ホルンの方が伸びやかで聞きやすいのではないか、チェロは集中を求めます。ホルンで聴く機会はきっとないでしょうけれど。

ソナタ第5番ニ長調の始まりはアレグロ・コン・ブリオ、「英雄」交響曲の始まりと同じ表情記号です。あちらは決然と突き進む感じですが、こちらは足元をじっくり確かめて考えながら見回しているようです。チェロは見得を切る(歌舞伎の團十郎さんとは違いますから)こともなく、ごく真っ当な、おだやかで飾りのない音の作りです。チェロの技術は余すところなく披露しているようですが、ひけらかすところはないようです。展開部で音が込み入るところでは、何か良くないことを企んでいるような、きっと内面に入ろうとして、それでも人々のなかに戻ってくるような、作曲というのはたいへんなことですね。
第2楽章はアダージョ・コン・モルト・センティメント・ダフエット、思いやりと気遣いとでもいうんでしょうか。悲しいというより、つらさ、痛さ、が伝わってきます。夢見るような持続する音から低く歌われるひとりぽっちの歌、そばで聞く人はいないようです。ピアノが寄り添って抱き起すような心の強さを見せます、共感、一緒に沈潜していきます。
おやと気がついたようにゆっくりとした踊りが始まります、第3楽章 アレグロ、いや、踊るというよりもおしゃべり、ピアノとチェロが対話しています。気が向いてはおしゃべり、紅潮しては我に返って、フーガの追いかけっこ。ちょっと難渋ですが、これはこれで頭の体操、パズルのようです。おや、と思い直すようなところがあって、おしゃべりがゆっくりに、そして高潮、幕切れ。

後半のソナタ第3番、最初は第1楽章だけ初稿版ということで。
ゆっくりしたやさしい出だしが、ほかの誰よりもゆっくりと聞こえて、ピアノが受けると気高い感じがします。いつも聴いているのと違う部分が色々、ピアノの音符が多かったりするところや、主従が逆転するところも。それが気になって落ち着けないというか、別の曲を聴くようで新鮮に聞こえたり、と。もっとたっぷり歌ってほしくても、きっとそれは無理なのです。音の数に応じた美感というのがあるのでしょう。最後に主題が戻ってきたところで、チェロにかぶさるピアノの動きがわずらわしかったのはきっとこのあと修正されたのでしょう。

次にソナタ第3番の全曲演奏となります。
第1楽章、馴染みの旋律がゆったりと、さっきと比べてたっぷりと。音の数が変わったような印象ですが、作曲者の推敲のあとでしょうか。叙情より力感。高揚をつくるというより、力と力が絡みあって生まれる建造物の自然な大きさ。チェロが歌いピアノが輝いたときはうっとりしました。チェロのオブリガート(=助奏)付きピアノ・ソナタという趣もあったのはピアノ奏者の主張だったでしょうか。終結部では大きな力を感じました。ピアニストの表現がフル・スロットル(=エンジン全開)に入ったようです。
第2楽章スケルツォ。ピアノの低音の響きがゴトロゴトロと唸ります。滑らかに回るというより、往復運動が回転力に変わるときに重心が動いていく、蒸気機関車の動輪、とでもいうか。このピアニストの音が重く感じられるのは彼女特有のリズム感だと思います。ウィーンのワルツは二拍目がつまずくとかいいますが、彼女のこの癖のあるリズムにはいつもわくわくさせられます。終わりに両者の辿る音の道が陽かげに入ったようなところがあって新鮮に聞こえました。いつもはどう聴いていたんだろう。
第3楽章はおだやかなカンタービレから。闇を抜けた作曲家は澄明な世界に入ったようです。まもなくアレグロに変わると晴朗な歌になります。「ルーテル・アワー」というむかしのラジオ番組を思い出します。人の声のようなチェロときらめき輝くピアノ、ベートーヴェンは勇気の人ですねえ。
作曲家が力感の人であることをピアニストに、肩肘張って観客を興奮させるのを作曲家が求めていないということをチェリストに教えてもらいました。

アンコールは「マンドリンとピアノのためのソナチネ ハ短調 WoO 43a」だったようです。短調から長調に変わって最後は短調、可愛らしい曲でした。

このホールのことはチラシでよく見ていました。東誠三 ベートーヴェン・ピアノソナタ全曲演奏会、には心を惹かれましたが、ローカル線の旅もそう何度もは、と諦めていました。今回は立ち寄り先でちらしを見つけて、なにをおいても出かけなければと寒いなか。ほら、小菅優さんですから。
会場の音響のせいか聴きやすく、1階と2階で400人のホール。控えめななかに音楽をいとおしむこの街の人の気持ちが感じられてあったかくなって帰ってきました。

2018年12月9日日曜日15時開演
三春交流館 まほらホール
「まほら」開館15周年記念事業
石坂団十郎&小菅優 デュオリサイタル

石坂団十郎 チェロ
小菅優 ピアノ

オール・ベートーヴェン・プログラム
《魔笛》から「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲 変ホ長調 Wo046
ホルンとピアノのためのソナタへ長調 Op.17
チェロ・ソナタ第5番ニ長調 Op.102-2
チェロ・ソナタ第3番イ長調 Op.69から第1楽章(初稿版)
チェロ・ソナタ第3番イ長調 Op.69