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楽譜   演奏会見聞録

10年10月22日

福井敬

レスピーギの曲は「ローマ三部作」のほかにもいろいろな曲がありますが、どれも肌ざわりがよく、聴いている最中から懐かしさにとらわれるような気がします。この曲も遠いあこがれを残照の中で確かめるような印象の曲でした。テノールはしっかりとした発音なのでしょう、なじみのないイタリア語なのにいくつか単語が聞き取れました。言葉を伝えることを大事にしている歌手だと思います。
あとで調べましたが、こんな歌詞でした。
あなたの力あふれる眼差しを、もう一度 / 微笑みを、声を、接吻を、もう一度! / これを最後に、陶酔をください、わたしを / 愛の震えのなかで無にしてしまうほどのを!(ネグリ詩・小瀬村幸子訳 L'ultima ebbrezza 最後の陶酔)
なるほど熱く歌われたわけです。それにブリリアント! ホールに響きわたる声量で輝く声を聴かせます。「黄金のトランペット」と呼ばれた歌手がいたのを思い出したくらいです。

「春の声」がソプラノによって歌われ、プログラムの序章、歌手紹介ということでしょう。このあと前半は日本の近代、現代の歌曲となります。
音楽史をたどるように山田耕筰から始まります。
北原白秋の「かやの木山の」。歌っている言葉が伝わってきます。
「山家のお婆さ」のいろりで榧の実が爆ぜます。「今夜も雨だろ もう寝よよ お猿が啼くだで 早よお眠よ」
小学校の教科書にあった風景のような、そんな懐かしさがこみ上げます。テノールは力を抜いて情を伝えるのに専念したようです。
次は藤原義江で有名な「出船」。漁の若衆を慕う歌との紹介でしたが、なるほどそういう歌だったんだ。「今鳴る汽笛は 出船の合図 / 無事で着いたら 便りをくりゃれ / 暗いさみしい 灯影の下で / 涙ながらに 読もうもの」。わたしたちの近代は、祖母・父の世代では、人は心の深いところまでつながっていたのだ。

ソプラノで中田喜直が歌われ、ここからは武満徹がテノールによって歌われます。
谷川俊太郎「恋のかくれんぼ」、恋をこどもの遊びのように「もおいいかい まだだよ」「往きはよいよい 帰りはこわい」と歌います。詩人の親しみやすい詩にフォークソング?のような曲が乗ります。
谷川俊太郎「ぽつねん」、同じく「もういいかい まあだだよ」がでてくるのですが、老人の孤独が歌われます。「公園の陽だまりに / おばあさんひとりぽつねん / やがて極楽でも今地獄 / 膝は痛むし目はかすむ / 富士山だって崩れてく / もういいかい / まあだだよ」。近代にあんなに深かった人の絆はもうこんなです。
谷川俊太郎「死んだ男の残したものは」、何人もの歌手が歌っていますが、オペラ歌手の演出は鬼気迫るものでした。叙事に始まり、叙情に移り、激情が燃え上がり、そして詠嘆。「死んだ兵士の残したものは / こわれた銃とゆがんだ地球 / 他には何も残せなかった / 平和ひとつ残せなかった」ここでテノールは目を見据え、苦いものをはき出すようでした。
「小さな空」は武満徹自身の詩。気の利いた言葉はありませんが、「いたずらが過ぎて / 叱かられて泣いた / こどもの頃を憶いだした」と、作曲家の原風景が歌われます。
日本語の歌の見本だと思いました。歌謡曲の情、流行歌の粋、歌曲の凛然、オペラの激情、すべてを体現していました。

「禁じられた音楽」はピアニストが登場、ピアノ曲かと思っていたら通路にテノールが登場、観衆の中を歌って回るという趣向でした。あとで調べたら、バルコニーの下でラブソングが歌われるという歌詞がありました。ステージの下で恋を歌って歩くというわけだったようです。そばを通ったときには、呼吸の風圧だけでなく、存在の風格というようなものを感じました。
「帰れソレントへ」はおなじみの曲。「sentimento」という発音がはっきりと! イタリア語で日本人に心を伝えてくれる歌手の実力でしょうか。

後半最初の2曲はカンツォーネだったとの紹介があり、続いてはオペラです。オペラでのテノールの役得、青年・二枚目・王子様、ちょっと演じるには難しい年齢、と笑わせてくれました。
ソプラノの登場で「ホフマン物語」のアリアが歌われましたが、機械仕掛けの人形の役とのことで、ロボットのように歌ってくれましたが上手でした。高音をコロコロと回す、コロラトゥーロがきれいでした。歌の途中で何度か機械のバネが伸びてしまってうつむきますが、その都度袖からテノールが出てきて、背中のねじを回していました。

テノールの「清きアイーダ」。対エチオピア戦の総指揮官を任ぜられるエジプト軍の将軍ラダメスの、勝利への決意と奴隷アイーダ(実はエチオピア王女)への思いが歌われます。
清らかなアイーダ / その神秘の美しさは私の女王 / 私の生涯の栄光だ / 君の額に王冠を飾り / 太陽まで高く昇らせたい。(訳:石田眞一「私なりのオペラ名作選」)

ソプラノの「偉大なる王女様」。愛する英雄テセウスに置き去りにされたクレタの王女アリアドネの悲しみを和らげようと、ツェルビネッタという女性が「男はひどい生き物、気紛れで移り気、でも女は不死身、いつだって新しい愛の予感」「神のように男は次々やって来て、私はそのたびに変わってしまう」と場違いな感じで口数多く歌います。古典的な悲しみに沈んだ王女を現代を生きるはすっぱな女が慰めるとんちんかん、雰囲気が伝わってきました。

最後は「星は光りぬ」。恋人カヴァラドッシを助けるためにトスカが警視総監を刺殺して牢屋に向かうころ、カヴァラドッシは死刑を待つ朝、星に向かって歌う。
ああ、あの甘いキス、誘うような抱擁 / 震えながらヴェールをとり、彼女の姿を露にした! / 僕の愛の夢は永遠に無に帰した。 / 時は過ぎ、 / 絶望の中に僕は死ぬ。(訳:ウィキペディア)
無理をしているようではないのですが、自然と力がこもった熱唱でした。デル=モナコもパヴァロッティもいらない、と思わせるようでした。

アンコールはヴェルディ「椿姫」より「乾杯の歌」をソプラノとの二重唱で、中村八大「見上げてごらん夜の星を」を聴衆と一緒にという趣向でした。

福井さんは曲案内のなかで、歌うことしか能がないから・・・、と話されていましたが、コンサートが進むにつれて、その能は全能だということがわかりました。
演奏会は国際ゾンタ福島ゾンタクラブ第14回チャリティーコンサートというものでしたが、福井さんは4回目の出演だったそうです。わたしはこの歌手をNHK-FMのリサイタル録音放送で知り、放送では2回も聴いていたのですが、今回このホールの予定表で名前を見つけたのは幸運でした。この慈善団体については知りませんでしたが、開場の30分前から会員の方でしょうか、行列で入場を待っていました。こういう演奏会の開き方、楽しみ方もあるのだと、新しい経験をしました。

ファンのサイトには、日本歌曲集のCD録音の様子が紹介されています。日本語による「美しき水車小屋の娘」、リサイタル盤「君を愛す」に続く3枚目の録音、ピアノ伴奏はこのコンサートのピアニストです。期待していましょう。


福井敬 こころの歌・唄・うた
2010年10月22日金曜日18時30分開演
福島テルサFTホール

福井敬:テノール
渡辺由美香:ソプラノ
谷地重紬子:ピアノ

レスピーギ:最後の陶酔
J. シュトラウス:春の声
山田耕筰:かやの木山
杉山長谷夫:出船
中田喜直:ゆく春
武満徹:恋のかくれんぼ
武満徹:ぽつねん
武満徹:死んだ男の残したものは
武満徹:小さな空

ガスタルドン:禁じられた音楽
デ・クルティス:帰れソレントへ
オッフェンバック:「ホフマン物語」より「森の小鳥はあこがれを歌う」
ヴェルディ:「アイーダ」より「清きアイーダ」
R. シュトラウス:「ナクソス島のアリアドネ」より「偉大なる王女様」
プッチーニ:「トスカ」より「星は光りぬ」