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楽譜   演奏会見聞録

17年9月30日

藤原真理

三十代のベートーヴェンの、というチェリストの説明が聞こえました。むかし学校で教えられましたがうろ覚えです。耳が聞こえなくて自殺を考えたとか、だったでしょうか。ベートーヴェンのソナタ第4番ハ長調からです。
うめくようなかすれ声に聞こえます。ゆっくりとした曲調です。思索への誘いといったところです。いつか早い音符が並ぶようになりますが、そぞろな感じもします。思い出してものを思うようにゆっくりした楽句があらわれます。
第二楽章もゆっくりと始まります。明晰で輝くピアノの前でくぐもった声で呻き、巫女、と思ったのですが、祭祀の、表情のない、しぐさがゆらめいて見えるのはこちらの心の反映なのでしょう。曲調が早くなってからはごつんごつんとわき腹を押されるような、こういう人生もあるんだぞとぽつぽつ話をされるような感じでした。
弦楽四重奏のときもそうですが、にぶい光を放つ硬い石のようなものを感じます。ほかで聴くことのない独創的な響きというか思索というか。聴けば何回も楽しめるのに、覚えられないからいつでも新鮮。幻想の中で自由に飛翔することができます。
調べてみると作曲当時44歳、交響曲7番や8番よりあと、弦楽四重奏だと「ハープ」や「セリオーソ」よりあとになります。

フォーレの小品集です。
「3つの無言歌より」は、Romances sans paroles op. 17 n. 3 Andante Moderato のようです。
ピアノ・パートの明るくはっきりしていること。いつも霞んでいるように聴いているのは実演じゃないからかしら。竹のようにおさえた艶とにぶい光のチェロ。
「子守唄」Berceuse, Re(') majeur, Op. 16
船のような揺れ。語り口のうまさ、ウィスキーのような香り。ざらつきではない。木の表面のような、肌の、皮革の手ざわり。
「ノクターン」、あとで調べたことですが、原曲は「シャイロック」という管弦楽曲 Shylock, suite, Op.57 の第5曲 Nocturne ニ長調、のようです。高音部の伸びやかな音が広がっていくなあ、と思ったらまもなく沈潜していきました。やっぱりフォーレです。
「夢のあとに」、綿綿というのではなく強い意志を感じる。元になった話をしてくれたが(良く聞こえてはいませんが)そのせいかな。
朝の輝く空から「あなた」の呼ぶ声がしていっしょに光に向かって飛んでいく…という夢を見た朝のことです。"Apre(')s un re(^)ve"、ロマン・ビュシーヌ (Romain Bussine 1830-1899) という詩人が書きました。

後半はベートーヴェンのソナタ第3番イ長調からです。
チェロの例によってくぐもった声が今度は腹から絞り出すように、おや、「大公」ってこんな曲じゃないか、とピアノ三重奏曲を思い出した(「大公」はピアノから始まります)。堂々の偉容。のびやかで大きな羽根で心が舞い上がるようです。高貴という言葉が浮かぶような大きい音楽はこの作曲家以外にはいないと思います。こけおどし、の人はたくさん。理想主義? に惹かれるのはわたしだけではないはず。
スタインウェイの明るいくっきりした音にはっと驚いた、このホールでピアノを、ベートーヴェンを聴いたのははじめてではないはずなのに。ピアニストは若い男性です。いい音をくっきりと際立たせてくれました。藤原真理、この歳になったベートーヴェンがチェロを弾いたらこんな感じかな、技巧云々ではなく、強い心の力を感じました。
二楽章スケルツォ半ばのチェロの太い重音が響くところではなつかしいような気分に、作曲家は厳しい人のように思いがちですが、やさしさも深いようです。最初の主題が戻って最後はチェロのピツィカート、ここの端整さに心を洗われます。
三楽章はじまりはアダージョ・カンタービレ。神々しさ、あこがれ、息の深さ。アレグロに変わると旋律もリズムも堂々と輝かしく光の下に現れたようです。ピアニストが果敢に攻め、チェロががっぷりと受け止めます。最後の爆発はそれまで積み上げられた力が解放されるということでしょう。感情ではなく、力の奔流。いつの間にか巨大な建造物が眼の前に現れます。すっかり押しまくれて拍手する元気も当座はないほどです。
ベートーヴェンを前半・後半にそれぞれ置いたので、思索による集中、愉悦による解放、で心の伸縮運動をしたような。

気持ちを切り替えてドビュッシーです。
ピエロが踊って見つけて影がどうのという言い伝え、とか。響きを楽しんでください、とチェリストの説明がありました。
プロローグ、ゆっくりした序曲です。一気に時空の彼方、ここはいにしえの、ギリシャ? でしょうか。高貴な香りが漂って、陽光と影、ピアノは輝きチェロはたっぷり、午後、陽炎、ゆらめき、風がふいたのか、心がざわめいたのか。夏の木陰で揺れる葉から陽が洩れて。
二楽章はセレナード、夕方になったのでしょうか、いや夜だ。ポツンポツンとチェロの爪弾き、ピツィカート。なにかがうごめくような。70年代のジャズのベース。フラジョレットとかいうんだったかしら、抑え指を弱くした倍音の高い音、笛でもなるような。鈴を振るようなピアノの軽やかな音。
フィナーレは波のように揺れて、船の航海かしら。強い日射しは地中海? 生き生きとした動きは海豚のざわめきのような。
ピエロ、という感じはよくわかりませんでした。光の中の憂愁とでもいうようなことでしょうか。

アンコールは
サン・サーンス「白鳥」。
フォーレ「シシリアーノ」。ピアノの響きにチェロが重なるような鳴り始めに光線が差し込むような、というか、一瞬真空があるような錯覚がありました。断層のように、そこで光の質が変わるような。
カタロニア民謡「鳥の歌」。カサルスのように息を止めてグッと力が入るような思い入れではなく、なにも特別なことはないというようなところにいさぎよさを感じました。

2017年9月30日土曜日14時開演
福島テルサFTホール
藤原真理チェロ・リサイタル

チェロ:藤原真理
ピアノ:倉戸テル

ベートーヴェン:ピアノとチェロのためのソナタ第4番ハ長調
フォーレ:3つの無言歌より/ノクターン/子守唄/夢のあとに
ベートーヴェン:ピアノとチェロのためのソナタ第3番イ長調
ドビュッシー:チェロソナタ