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楽譜   演奏会見聞録

03年5月30日

アルバン・ベルク弦楽四重奏団

ミニマリズムという言葉を思い出しました。

瞬間瞬間の響きが一番美しくなる鳴らせ方をしているのです。旋律の進行に盛り上げや興奮させるような流れを作らない。曲全体を俯瞰して構成で聞き手に訴えるのは作曲者にまかせて、フレーズごとに一番美しくなるように磨いて聞かせるのが演奏者の立場だと言っているようでした。

最初のモーツァルトで歌わず、なにか不思議な体験だと思いはじめたのですが、ヤナーチェックではチャンスオペレーションとも思える爆発と微少な音の交錯を見せました。

リズムの自由さにヴァレーズやシュトックハウゼン、ケージを思いおこしました。どこかで聞いた音の流れだと思い、20世紀初めという時代、ヤナーチェクとアイヴズが同時代人であることを思い出しました。

後期ロマン派を引き継いだ音型、そして文学の楽しみと。このカルテットはアルバン・ベルクの名をもらっていたんだ。マーラーからベルクに続く響きをモーツァルトとヤナーチェクで実現している。

ベートーヴェンはいつも聴いているレコードのバリリ四重奏団の演奏と同じ曲だとは思えない。バリリ四重奏団のウィーンの伝統はブラームスまでのもので、ベルク四重奏団のウィーンの伝統はマーラー・ベルクを通してのものと書いたところで、いや、そうかな、バリリ四重奏団を聴き直したほうがいいのではないかと考え直した。

20年前に福島で聞いた時にもベルク四重奏団は同じ表現方法をとっていたのだと思う。清新さはわかったが言葉で表せなかった。今日はじめてわかったように思う。

あの時は県文化センターのホールの少ない残響とピヒラー氏の今使っているストラディバリウスとは違うバイオリンのせいなのか音程が合っていないように聞こえ、盛り上げてくれないことにいくぶん肩をすかされたように思えたのだった。

あの時のバルトークは今でも耳に残っている(その他の曲は忘れた)が、20年前よりもすごみは増しているようにも思えた。あの時ケージの音楽に思い至っていればこの20年間音楽を聴いて思うことがずいぶん変わっていたのに、とその時わからなかったのを悔やんだ。

あれだけのすごさを見れば、アンコールを聞かなくてもいいと思ったが、他の観客もそう思ったのか、ライトがついたら早々と皆さん引き揚げておられた。オーケストラの名曲コンサートでないと大勢の聴衆が集まらない街の限界だとは思いたくない。

世界最高の四重奏団がここにいることが大事なのではなく、大事なのは世界最高の四重奏団の価値を理解することなのに。

音楽の聴き方をもっと勉強したいと思った初夏の夜でした。


5月30日(金)19時開演
福島市音楽堂(2003ふくしま国際音楽祭)
■ モーツァルト : 弦楽四重奏曲第16番変ホ長調 K428
■ ヤナーチェク : 弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」
■ ベートーヴェン : 弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 作品131
ヴァイオリン:ギュンター・ピヒラー ゲルハルト・シュルツ
ヴィオラ:トマス・カクシュカ
チェロ:ヴァレンティン・エルベン