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楽譜   演奏会見聞録

11年2月6日

青柳いづみこ

型絵染作家伊砂利彦追悼展会場での演奏会。ピアノを囲む壁には「前奏曲集」2巻分24枚の型絵パネルが展示されていました。

「今や月は廃寺に落ちる」。全音階がななめに開くように伸びていき、日本の古寺を思わせました。いや、ベトナム、カンボジア、東南アジアのどこかかも。作曲者への共感というより、20世紀初めの(日本でいえば明治の後期)思潮への共感でしょうか。懐かしい感じがします。演奏のあとのピアニスト自身の解説で曲の舞台はアンコール・ワットであり、草稿に「ブッダ」と書き込まれていること、同じ「映像 第2集」に「金色の魚」があり、日本の漆器盆に金粉で描かれた錦鯉に由来することを教えられました。

「水の反映」。静かな水面を波が乱す、静から動への移ろい。以下ピアニストの解説。伊砂利彦は「水だけで滝を表現」しようと河津七滝に通い滝の落口の水面を注視、現れる景色を待っていた。写生旅行から帰洛した晩、アレクシス・ワイセンベルクのムソルグスキー「展覧会の絵」に感銘、一瞬に変化する滝の水を写生するのと、一瞬に消え去る音楽の音のパターンには共通するものがあることに気がつき、音から形を作り出すことができるようになったという。(解説ここまで)

「デルフィの舞姫たち」。おずおずとした足どりの中に気品が。胸を張るつよさ。
「帆」。風とふくらみ。時間が伸び縮みする。
「野を渡る風」。風が舞う。あるいはミツバチが舞う。落ち葉が舞い上がる。
「音と香りは夕暮れの大気に漂う」。煙のように気まぐれなもの。風が吹いてかたちを失う。
「アナカプリの丘」。霊感が線になって伸びていく。ひらめき。心の湧きたち。
「雪の上の足跡」。人の心も凍てついた。立ち止まっては吐く白い息。ささくれ立ち、いじけていく心。
「西風の見たもの」。不吉な荒れ風。
「亜麻色の髪の乙女」。ルノワールの頬の赤い少女。
「とだえたセレナーデ」。カルメンが似合いそうなスペインのリズム。止まっていた風が吹き出して集中が途切れる。
「沈める寺」。海の底から浮きあがる教会、鐘が鳴り、祈りの合唱が聞こえる、という知識がありましたが、教会がせっかちに上昇したように見えました。ピアニストが演奏会終盤に向けアクセルを踏んだようです。
「霧」。めくるめくように回る霧? 伊砂氏は霧の音を聴いたのだそうです。残念ながら展示はありませんでした。
「水の精」。ブラウン運動。「精」のスピリットはどこへ行った?
「月の光」。元気に動き回る光。静かに見守りたかった。

「今や月は廃寺に落ちる」でたゆたうように始まり15曲。最後は技巧を凝らして華麗な響きのショーとなりました。息を静かに保ったまま心に忍び込んでくるような味わい深い前半が、心をわしづかみにするような終盤に追い抜かれてしまったようでした。音を楽しむ演奏でしたが、ドビュッシーは、音楽の女神はほほえんだでしょうか? 「沈める寺」ではワッツの来日公演を、「帆」ではアラウの録音を思い出していました。

「追悼・伊砂利彦回顧展」記念コンサート
「音とかたちの出会い 青柳いづみこのドビュッシー」
2011年2月6日日曜日14時開演
福島県立美術館企画展示室

ピアノ: 青柳いづみこ

プログラム
クロード・ドビュッシー
『映像第2集』より「今や月は廃寺に落ちる」
『映像第1集』より「水の反映」
『前奏曲集第1集』より「デルフィの舞姫たち」「帆」「野を渡る風」「音と香りは夕暮れの大気に漂う」「アナカプリの丘」「雪の上の足跡」「西風の見たもの」「亜麻色の髪の乙女」「とだえたセレナーデ」「沈める寺」
『前奏曲集第2集』より「霧」「水の精」
『ベルガマスク組曲』より「月の光」