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楽譜   演奏会見聞録

05年8月24日

マクサンス・ラリューの世界

ステージにチェンバロ。それだけで嬉しい。オーケストラのコンサートが野蛮に思える。まだ一音も聞いていないのに。

フランソワ・クープランの王宮のコンセール Concerts Royaux 。
エリック・エリクソン(レコード・プロデューサー)が古楽専門のセオン・レーベルを創立し、日本ポリドールの1976年の有料視聴盤にごく一部が収録されていた。鼻にかかったような柔らかさはそれまで聞いたことのない種類の音楽だった。全曲はセット販売のみ、6枚組15,600円、当時はどういう人が求めたのだろう。ずいぶん後に手に入れて嬉しく聴いた。そよぐ風を頬に感じるようなほのかさ、ルイ14世のヴェルサイユ宮ではこの微妙な響きに心を傾けていた。

プレリュードの明るさにさす翳り。素朴なアルマンド(ドイツ)、きらびやかなクラント・フランソワズ(フランス)、細やかな動きのクラント・アリタリエンヌ(イタリア)と、衣擦れの軽やかな音で諸国巡りを楽しませてくれる。風ののびやかさのサラバンド。ラリュー氏のフルートは紗のかかった絹の手触り。気持ちが浮き立つ明るさ。

テレマンのトリオ・ソナタ。
フルートが2人登場。清水氏の低音部ではじまり、ラリュー氏が後から追いかける アッフェトゥオーソ(情趣豊かに)での、抑制のきいた均質な音の輝き。

食卓の音楽。
3本のフルートが登場、ラリュー氏は中央で、芯の通った音をくっきりと響かせる。弟子たちを引き連れた名船頭といったおもむき。曲が進むにつれエンジンの違いが出てくる。切れのいいリズム、風を切るような鮮やかさ。主旋律をまかせて装飾音で加わる部分では自由にたゆたって、千両役者。2人のフルートが息を吹き込まれて鳴っているのに対して、ラリュー氏の笛は命を持っているかのように自立している。
スポーツカーのように爽快に走るのは、伴奏にヴィオルのような低音楽器がないからだ。

後半は「魔笛」から。オペラの中の曲のフルート編曲。伴奏にまわったときのころころ転がる音の柔らかさ、なでるような肌触り。

続くドビュッシーとラヴェルのソロ演奏、音の愉悦。音そのものに喜びを感じるのは音楽の楽しみの大きな部分だ。当たり前のことに思いあたる。
それはたしかに技巧というものなのだけれど、楽譜=記号から立ちのぼり煙のように広がっていくのは何なのだろう。楽譜を読む、練習する、という作業が昇華され、残ったのが純粋な音の喜び。言葉にならない印象派の音楽で気がつかされた。
この音は人智を越えている。人間業とは思えない。モーツァルトが生きていてコンサートを開いたら、こういう音の連続なのだろう。
コンサートのキャッチフレーズにいわく、「黄金の笛 天上の響き」、嘘はないようだ。

ハイドンではフルートの音に信じられないほどの細かい揺れに気がついた。安定していないということではなく、意図された細動、これが音の輝きを生み出している。完璧なコントロール。まるで神のよう。管楽器は人の息が鳴らしている、今夜の収穫。

最後はドップラー編曲のヴェルディ「リゴレット」。フルートだから蔭がないのか、いや、オペラの台本には蔭があっても、ヴェルディの音楽は明晰で蔭がないということだろう。

フランスの音楽、フランスの管楽器、楽しいコンサートだった。
ラリュー氏は1934年マルセイユの生まれ。
主催は福島日仏協会、収益金はインドネシア・スマトラ島沖地震義援金として財団法人ユニセフ協会に寄付されるとのこと。

《マクサンス・ラリューの世界 〜黄金の笛 天上の響き〜》
インドネシア・スマトラ島沖地震チャリティー・コンサート
マクサンス・ラリュー Maxence Larrieu(フルート)
東條茂子(フルート)
清水和高(フルート、アルトフルート)
鷲宮美幸(チェンバロ、ピアノ)

2005年8月24日水曜日 18時30分開演
福島市音楽堂
F.クープラン:王宮のコンセールより第4番ホ短調
G.Ph.テレマン:2本のフルートとチェンバロのためのトリオ・ソナタ
G.Ph.テレマン:ターフェルムジーク(食卓の音楽)よりカルテット ニ短調(3本のフルートとチェンバロによる)
F&K.ドップラー:2本のフルートとピアノによるリゴレット幻想曲
C.ドビュッシー:小組曲より「小舟で」
M.ラヴェル:ハバネラ形式による小品
F.J.ハイドン:ロンドン・トリオ第2番ト長調Hob.IV:2(2本のフルートとアルトフルートによる)